エクアドル便り90号

チンボラソの雪

 

 乾季は近づいているが、毎日どんよりと重たい雲が垂れ込め、冷たい風が吹き、雨季が明ける気配がない。チンボラソ山の雪も大分麓の方まで降りてきている。チンボラソの雪にお目にかかりたいと、毎日空を見上げているがなかなかその機会に恵まれない。漸く晴れ間が見えた。しかし雲が多い。チンボラソの「機嫌」に賭けることにした。

 地元紙プレンサを買い、バスに乗る。昨日の水利法改正法案の投票結果が気になった。国会周辺は厳戒体制、インディヘナの道路封鎖の記事はあるが、投票結果は載っていなかった。子供が1〜25まで指を折りながら数えている。チンボラソが雄姿を現した。一点の雲もない。チンボラソはご機嫌のようだ。再会を待ち望んでいたようにも見える。登山口に10時半到着。既に標高は4000mだ。環境監視員にエクアドル外務省のIDカードを提示し、2ドルを支払う。前回来た時は外国人として10ドル支払ってしまった。

 監視員に見送られ、快晴のチンボラソへと登り始める。風か強い、しかも冷たい。セーターを着込み、襟巻きをし、手袋をする。万全だ。歩いている者は誰もいない。右に左に蛇行する月世界のような道をひたすら登る。ピッケルを片手に、若者が1人降りてきた。互いに、チンボラソをバックに写真を取り合い別れた。聞こえるのは風の音だけ。岩にしがみついた高山植物、時折ビクーニャの家族が姿を見せる。チンボラソの雄姿を前に、暫し休憩。チョコと乾パン、ヨーグルトで腹ごしらえ。次第に雲が湧いてくる。裾野に向かって放尿し、再び歩き始める。呼吸が荒い。休む回数が増える。登山道の坂の上に、ぽっかりと紺碧の空にわた雲が浮かんでいた。その雲に向かってひたすら登る。

 雲には「すじ雲、うろこ雲、いわし雲、ひつじ雲、わた雲、入道雲」など郷愁を誘う名が多い。司馬遼太郎の「坂の上の雲」は松山出身の秋山兄弟と正岡子規を主人公に、日露戦争を通し「坂の上にたなびく一筋の雲」に向かって、ひたすら近代国家を目指した群像が描かれている。子規の句に「雪のある山も見えけり上り坂」がある。

 12時半、漸く赤い屋根の第1山小屋に到着した。標高4800mだ。アンバトから来た大型バスが停まっていた。若者たちの元気な賑やかな声が聞こえる。遥か彼方の山並みに真っ白な雲が湧き上がっていた。シモン・ボリバルの絵と「解放者の道」と書かれた看板があった。そこに「チンボラソの雪」と題する詩が掲示されていた。

「エクアドルの最高峰、チンボラソ県民の誇り、県のシンボル、魅力的な観光スポット

チンボラソの名にはいろいろな意味がある。凍った風、氷の椅子、氷の館、風の神など

海抜6310メートル、地球の中心からの高さは世界最高、裾野は約30平方キロメートル

シモン・ボリバルは1822年7月5日、未知の高さまで登った。そこで、解放者シモン・ボリバルが剣の力で国々を解放し、地獄と天国を観測し、その想いに魅了され、『我が熱情はチンボラソの上にあり』と書き記す」とあった。

  

   チンボラソとビクーニャ               友梨香と仲間たち

 山小屋の山側に四角錐の記念碑がある。その周りに無数の慰霊碑があった。フランス人、スイス人ら10人の名が刻まれた遭難慰霊碑が痛ましい。さらに第2山小屋に向かう。きつい。胸が押し付けられる。女の子2人連れが降りてくる。「もうじき」と励まされる。頭がキーンとしてくる。めまいを感じる。息苦しい。若者の集団が降りてきた。「日本人」と聞かれ、「そうだ」と答えると、「ユリカ、日本人だよ。早く降りてきて」と手招きしている。ユルカは友梨香。暫しスペイン語で話していた。「あっ、日本語忘れた」と言って、その後日本語で話す。アンバトに語学留学して、この6月には帰国するとのことだ。「エクアドルで日本人に会ったの初めて」と言う。「リオバンバに住んでいる」と言うと、「来週火水木と、台湾の友達を訪ねてリオバンバに行く」と答える。「じゃあ、連絡をくれれば食事でもしようか」ということになった。不思議なめぐりあわせだ。仲間たちが「一緒に写真撮ろう」と言って、大勢集まってきた。元気で賑やかな若者たちだ。下に停まっていたバスの乗客だ。

やっとの思いで第2山小屋に到着した。最早1時半だ。5000mの標札があった。まだ雪渓には手が届かない。諦めてコーヒーを注文する。山小屋の主人が「雪渓まで10分ほどだ」と教えてくれた。最後の力を振り絞って雪渓に向かった。ざらめのような雪だ。口にほおばってみた。味はない。風も冷たいが雪も冷たい。エクアドルに来て、始めての雪とのご対面である。思いは果たせた。チンボラソの頂上は既に雲の中だった。

 太宰治の「津軽」の冒頭に7種類の雪が紹介されている。新沼謙治の「津軽恋女」にも歌われている。「降りつもる雪雪雪また雪よ 津軽には七つの雪が降るとか こな雪つぶ雪わた雪ざらめ雪 みず雪かた雪春待つこおり雪」と。

 2時を回っていた。慎重にゆっくり下って行く。既にアンバトのバスはいない。遥か彼方の山並みから真っ白な雲が湧き上がっている。天上を歩いているようだ。天国とはこのようなところかもしれない。日頃あまりいいことをしていないので、地獄に落ちるかもしれない。しっかりと目に収めておこう。「紺碧に湧きいずる雲天上界」と一句詠んだ。鳥が1羽もいないのが不思議だ。風の音と靴のきしむ音だけが聞こえる。時々チンボラソの山頂が顔を出す。

 ビクーニャの家族が「1人で寂しくないのかね」といった顔をして見送っている。登山道にも下りてきた。結構な頭数だ。残った乾パンを投げてやるが、そ知らぬ顔をしている。ビクーニャは南米アンデス地方に生息し、標高3500〜5000mの草原に10頭前後の群れを成して生活している。リャマやアルパカ、グアナコと近縁で、ラクダ科に属する。かつては200万頭いたと推定されていたが、肉と良質な毛を得るため乱獲され、現在は10万頭に減少していると言われる。ビクーニャの毛織物は「神の繊維」とか「繊維の宝石」と呼ばれ、コート1着数百万円の値が付くとも言われる。高価な生き物だが、絶滅の危機に瀕しているようだ。

 4時に検問所に到着した。監視員と雑談し、写真を取り合い別れた。10時半から4時まで歩き通したと聞き、驚いていた。確かに歩いている者は他には誰もいなかった。観光客が多いせいだろう。日本では中高年の登山者が多いと聞くが、この程度の登山は朝飯前ではなかろうか。ただ5000mと聞けば躊躇するかもしれない。地球の中心からの高さは概ねエベレストと同じだ。チンボラソに「さよなら」を告げ、4時過ぎのバスに乗り込んだ。

 

平成22年5月14日

須郷隆雄