エクアドル便り91号

カリブの赤い国(騙し上手なハバナっ子)



「カリブの赤い国」「カリブ海の真珠」と言われる社会主義国キューバ。ホセ・マルティやカストロ、ゲバラの革命の足跡を辿るべくキューバに向かった。アメリカの経済封鎖の現状も見てみたい。

 ハバナ行きは既にカリブの香りだ。買出し目的なのか山のような荷物を抱えた乗客でごった返していた。後ろの女性2人組から声を掛けられる。「機内積み込み重量をオーバーしている。荷物1つ預かって欲しい」と言う。私はリック1つだけだ。預かろうと思ったが、何が入っているか解らない。もしかして麻薬でもと頭を掠める。心を鬼にして断った。昨夜から喉がいがらっぽい。うがいをし、薬を飲んだが、今ひとつ調子が良くない。15時30分発エクアドル航空のチャーター便だ。手荷物を見ていてくれと言って、平気で何処かへ行ってしまう。困った人たちだ。やくざの兄ちゃんが着るような派手派手のTシャツを着ている。キューバ行きはどうも人種が違うようだ。2時間の待ち合わせ時間は長い。漸く搭乗だ。荷物を頼んで何処かへ行ってしまった髪の毛を頭のてっぺんで束ねた愛嬌のいい玉ねぎおばさんが、同じ列に座っていた。手を振ってエールを送っている。隣は空席、ゆっくりとくつろいだ。昼下がりのキト市内を見下ろし、一路ハバナへと向かった。

 ひたすら北へと飛ぶ。カリブの海が雲間に見えてきた。何処までが海で、何処から空なのか解らない。時差1時間。現地時間20時到着だ。カリブの大きな太陽が緑の地平線に沈んでいった。預けた荷物が一向に出てこない。周りに置いてある荷物を見渡すと既に取り出されていた。ガビオタ・ツールのオネリオが名前を掲げて迎えに来ていた。タクシーの中で、バウチャーやホテル、航空券などを渡される。一応のスケジュールも説明する。しかし、市内観光のことは解らないという。翌朝、ガビオタのサイリに連絡を取ることにした。連携が悪い。ベダド・ホテルでチェックイン。100ドルをキューバ兌換通貨CUCに両替する。1CUC=1.08ドルだ。手数料10%を取られ、80CUCを受け取る。部屋は上等とはいえない。ロビーのバーはキューバ音楽を奏で大騒ぎだ。食堂は既に閉まっていた。ビールとサンドイッチで済ます。外人を見ると英語で話しかける。英語が通用しているようだ。しかしこの陽気さはいったい何なのだ。訳の解らないうちに第1夜を過ごした。

 キューバはフロリダの南約145kmに横たわる細長い島だ。東西1250km、面積は本州の約半分に当り、1600あまりの島や岩礁からなるカリブ海最大の島だ。サトウキビ畑や牧草地で埋めつくされた平原であるが、島の4分の1は山岳地帯。南東部のマエストラ山脈のトルキノ山は標高1980mある。マホガニーの林に包まれた美しい山並みだ。ヨーロッパ系が25%、混血50%、アフリカ系25%で、人種差別の無い国として知られる。カトリックとアフリカ宗教が中心で無宗教の人も多い。スペインとイギリスの統治、アメリカの支配の後、カストロやゲバラのキューバ革命により社会主義の道を歩んでいる。ソ連崩壊やアメリカの経済封鎖により多難を極めているが、どっこい治安も良く、明るく陽気に生きている。

 翌朝、食事に降りるとロビーは旅行者でごった返していた。朝から汗が噴き出す。想像以上の熱さだ。日本人らしきご婦人3人が静かに朝食を取っていた。ガビオタ・ツールのサイリに電話する。「市内観光はリザーブされていない」と言うではないか。リオバンバの代理店からは「全て含まれている」と確認している。電話では埒が明かないので事務所に乗り込む。結局最終日の27日にセットすることになった。この事態をエクアドルの事務所に連絡するように依頼し妥協した。何たることか。しかしここはキューバ、日本のような訳には行かない。

  

    ハバナ湾からカーサブランカ                 国会議事堂

 午後、地図を頼りに市内を散策する。マレコン通りに出てみた。深い藍色のカリブ海が広がる。風が強い。磯の香りは無い。防波堤から魚を釣っている。鯵のような魚が沢山釣れていた。タコもいた。古いスペイン統治時代の建物と新しい建物が混在している。シボレーやリンカーンなど50年前の車も走っている。馬車も通る。早速子供が金をねだるが無視する。サン・サルバドル城から赤さびた大砲がハバナ湾に向けられていた。向かいはカーサブランカの石垣が要塞のようにハバナ湾を見守っている。椰子の木陰で黒人女性が「写真を撮れ」と言う。「名前は」と聞く。キューバ序章の始まりだ。片足の無い青年が色々説明に来る。ゲバラの話をすると「いいものがある」と言って、ゲバラ写真入りのカレンダーを取り出す。今頃カレンダーは必要ない。しかし身障者、3兌換ペソを上げると「いい子を紹介する」と来た。程ほどにして別れる。

馬に乗ったマキシモ・ゴメス像。旧ハバナ市街に向かって歩く。統治時代の豪華な建物が無数にある。疲れてきた。アルマス広場で休んでいるとおばさんが「メキシコ人か」と声を掛ける。どう見てもメキシコには見えないと思うが、髭のせいだろうか。暑さのためか髭を生やしている人が少ない。歩いていると色々なことが起こる。本の露店が軒を連ねている。向かいは国立博物館だ。ハバナの銀座通りオビスポ通りを歩く。賑やかだ。腹も減ってきた。バンド演奏をしているレストランに入った。Tシャツとお婆のぬいぐるみ人形も買った。オビスポ通りを経てホセ・マルティ像のある中央公園に出た。手を合わせて「1ドル1ドル」と老爺がせがむ。しょうがない、1兌換ペソを上げると深々と頭を下げた。

左手に国会議事堂の威容、圧倒されるほどの建物群だ。スペイン統治時代の豊かさがうかがえる。国会前で明治時代を思わせる箱型のカメラを据え付けた写真屋さん。客はいない。アル・カポネ時代とも思われるどでかい派手派手のタクシーが展示品のように並んでいる。ヘミングウェーが良く通ったという「フロリディータ」に入ってみた。奥のカウンターにヘミングウェーが片肘付いて座っていた。カウンターに座るなり「ダイキリ」と聞くので、それにしておいた。ヘミングウェーを偲び、同じダイキリを時間を掛けて飲んでいた。

ミシオネス通りを戦闘機などが展示してあるクランマ記念館、革命博物館を経てマキシモ・ゴメス像広場に出た。左手に豪華なスペイン大使館があった。またもキューバ人が声を掛けてきた。ゲバラの3ペソコインとホセ・マルティの1ペソ紙幣をくれると言う。怪しいと思いつつも口車に乗ってしまった。「6ヶ月の子供がいる。ミルクが必要だ。近くに店がある」と言う。騙されたつもりで、奉仕の精神も手伝って2袋も買ってしまった。12兌換ペソだ。損したような気もしたが、悪い気もしていない。話しかけてくる時は必ず下心があるのだが、皆結構騙し上手だ。これがキューバかと、勉強になった。授業料と思えば大したことはない。歩いているとひっきりなしに声を掛けてくる。知ってる単語を並べて。「コンニチワ、アリガト、サヨナラ」「トーキョー、オオサカ、ヒロシマ」「マツザカ、イチロー」キューバ人気質が解ったような気がする。ハバナブラも貴重な経験になった。暑さと歩き疲れでめまいがしてきた。

 

平成22年5月21日

 須郷隆雄