エクアドル便り92号

カリブの赤い国(カリブ海の真珠)

 朝食を済ませ、トイレに入っていると電話がなった。尻を拭きながら四つんばい状態で電話に出る。「迎えのタクシーが来ている」とのフロントからの連絡だ。予定より10分早い。順調な滑り出しだ。マレコン通りを経て、ハバナ湾の地下トンネルを抜けカーサブランカ側に出た。高速道を東へ、カリブ海を左に見ながら進む。椰子の木は多いが意外にバナナの木は少ない。「中国人学校」と運転手が指差す。立派な学校だ。ポインセチアの巨木。時折サイドカーが通る。石油の臭いだ。海岸沿いに石油採掘機がゆっくりと動いている。火力発電所の大きな煙突が見える。運転手がよくタバコを吸う、3本目だ。採掘機が点々と続く。石油の臭いのする海岸線をひたすら東へ走る。薄い青に白い雲、日本の夏空に似ている。製油所のガスの炎、マタンサスに入った。ジュムリ川を越えるとバラデロまで37kmの表示があった。左にカリブの入江、椰子のリゾートが開ける。キューバ最大のビーチリゾート、バラデロに到着した。

 バラデロは1930年代から欧米の億万長者の別荘地とされてきたが、90年代から再開発され、カリブの一大リゾート地として生まれ変わった。25kmにわたって眩しい白砂ビーチが続く。「カリブ海の真珠」である。ホテルで着替え、早速海岸へ出てみた。水彩を溶かしたようなパステルカラーのアクアグリーンだ。焼け付くアスピリンサンドに椰子の葉の小屋、音楽はメレンゲにサルサだ。褐色の肌々々・・・。日差しがきつく長居は出来ない。別荘地は椰子とゴム、燃えるような真っ赤な花を付けたジャカランダに似たガルディナスの並木道だ。ホテル脇の売店のおばさんにそそのかされて、葉巻を買った。「グァンタナメラ」と書かれていた。グァンタナメラは「グァンタナモの娘」という意味だが、キューバの最東端にグァンタナモという地名がある。そこからの命名だろう。グァンタナモには1903年以来アメリカが租借しているグァンタナモ米軍基地収容所がある。アフガニスタンやイラクで拘束された人の収容所としても使用されている。オバマ大統領はこの収容所の早期閉鎖を検討中とも聞く。「グァンタナメラ」はキューバを代表する音楽だ。国民的英雄ホセ・マルティの詩をフェルナンド・ディアスが作曲し、アメリカのフォーク歌手ピート・シーガーがヒットさせた。「グァンタナメ〜ラ」と歌いながらホテルに戻った。

 午後6時、日差しが弱くなったのでカリブの海に入った。体が浄化される気分だ。暫く子供たちと一緒に波に戯れていた。カリブの夕日はなかなか沈まない。8時、漸く空を染めゆっくりと沈んでいった。夕日を見送るように金星が輝き始めた。何処からかグァンタナメラが聞こえてくる。ビール「ブカネロ」を飲む。腰が抜けたようで、コク・キレはない。アルコール度は5.4%だった。上弦の月がカリブの海を照らし出していた。

  

        カリブ海と帝王椰子                 カリブに沈む夕日

 カリブの夜明けだ。天気晴朗にして波静か。馬車の蹄の音が心地よい。真っ赤なガルディナスが目にしみる。海岸沿いの遊歩道を歩いていた。別荘の壁に「キューバとともに今立ち上がる者は、いつでも国民のために立ち上がる」とホセ・マルティの言葉が書かれていた。キューバの国木「帝王椰子」がカリブの風に葉をなびかせていた。キューバ人はこの帝王椰子を見るとキューバの女性と祖国を思い浮かべるという。「カナダ人か」と声を掛けられる。「日本人」と答えると「ヒロシマ、ジュードー、マツザカ」と言う。やばい。「安い葉巻がある」と。「タバコは吸わない」と早々に断る。カナダ人と言われたのはここに来て3回目だ。なぜか解らない。カナダの元首相ピエール・トルドーとカストロの友好関係があったと聞いたが、それに由来しているのだろうか。店のおばさん「カンフー、ブルースリー」と声を掛ける。ちょっと違う。

 昼食後、ビートの利いた音楽を聴きながら、プールサイドで椰子を抜ける風に吹かれて、うたた寝をしていた。若者たちのバスケやバレーに興じる歓声を遠くに聞き、そんな時代もあったと思い浮かべながら。初老の穏やかな午後だった。

 川のような緩やかな流れのパソマロ(PasoMalo)湖のほとりを歩いていた。ひどい名だ。通行に邪魔な湖という意味だ。意味に反し、美しい流れだ。湖畔の椰子の並木をゆっくりと歩く。空に2枚羽根の双葉機が、しおからトンボのように飛んでいた。イグアナの子のようなトカゲが、尻尾を巻いてちょろちょろと出て来る。一瞬たじろぐ。彼らの住まいの穴ぼこが無数にある。黒焦げの車がホテルの前に展示してあった。皆がカメラを向けている。ダットサン1号のような車だ。名車なのだろう。親子連れが釣りをしている。時間がゆっくりと流れていた。

 夕暮れ時、砂浜に腰を下ろし、カリブの海に沈む夕日を眺めていた。波間に戯れる子供たちの歓声を遠くに聞きながら、ゆっくりと時間を掛けて沈んでいった。

平成22年5月23日

須郷隆雄