エクアドル便り番外編

清吉の無心






  

暮れ六つも当に過ぎた戌の刻に、裏木戸を「トントン、トントン」と叩く音がする。誰かと戸を開けるとそこに、上総屋の御用聞き清吉が立っていた。

「突然で申し訳ねえですが、百文の金子をお借りしてえ」と頭を下げている。

「とにかく用向きは中で聞こう」と中に入れ、裏木戸を閉める。

「百文か。何に使う」

「実はあした、国から親が出てくる。何かうまいものを食わしてやりてえが、持ち合わせがねえ。頼む当てもねえので、迷惑を承知の上で無心に来やした」

清吉は体をもじもじさせながらうつむいていた。

「たった百文で国の親をどうもてなす気だ」

「うどん3玉買って腹ごしらえをしやす。おっかあは甘いものが好きだから、大福を3つ買う。おとうは酒が好物だから酒も少し用意しやす」

既に算段はつけていたと見えて、すらすらと答えた。

「それは立派な心がけだ。おめえは信州の生まれと聞いたが、そんな遠くからわざわざおめえを訪ねて来るんだ。そんなもんでは足りめえ。ここに一貫ある。これを持って行け。そしてたんとご馳走してやれ」

「とんでもねえ。百文ならともかく、一貫ではとても返せるあてがねえ。そんな大金は借りるわけにはいかねえ」

清吉は慌てて手を横に振り、懇願するように言った。

「せっかくの親孝行だ。いいからこの一貫持って行け。返せる時が来たら返せばええ」と無理やり一貫を清吉の手に握らせ、裏木戸から帰してやった。清吉は目に涙を浮かべ、駆け足で夜道を帰っていった。

翌日、同じ戌の刻に再び清吉親子がやってきた。

「昨夜は息子が大層な金子を無心したそうで、申し訳ねえことござりやす」と清吉の父親が深々と頭を下げた。

「いい親孝行が出来てよかった。ところで、おめえさんたちは信州にお住まいと聞いたが、信州の何処にお住まいかの。」

「わしらは山深い樽見村に住んでおりやす。甲斐性もねえので、息子にまでこうして迷惑を掛けておりやす」

清吉に目をやりながら、頭をかいた。

「樽見村と申したか。樽見村には小椋清衛門というお大尽がおったろう。知ってはおらぬか。」

樽見村との返答に、一瞬戸惑いと驚きを覚えた。樽見は自分が生まれ育った村であった。

「よおく存じておりやす。一時は羽振りもよく、お大尽ともてはやされておりやしたが、色々事業に手を出し、妾も囲い、左前になるとばくちにも手を出し、全財産を失い、今は何処にいるのかとんと解りやせん」

「驕れるもの久しからずやでござりやす。いいことは長く続きはしねえです。」

恨みをぶつけるかのように清吉の父親はつぶやいた。

「そうか。それは気の毒なことをした」

「実はな、わしはその清衛門さんに大変世話になったんだ」

「わしの家は大層な貧乏でしてな。何れは何処かの丁稚奉公に出ることになっていたんだ。三男坊でもあったしな」

「江戸に出る前の晩に、清衛門さんに百文の無心に行った」

「百文足らずのはした金で江戸まで行けるもんか。飯も食わねばならぬ、旅銭もかかる。着いてからも金はいるだろう。ここに一貫ある。これを持っていけ」とそのとき清衛門はぶっきらぼうに言った。

「百文ならともかく、一貫という大金は返せる当てがない」とわしは断ったが、無理やりその一貫を懐に押し込み、「返せる時が来たら返せばええ。金はいくらあっても邪魔にはならねえ」と言って送り出してくれた。

「その一貫を未だにわしは返してない。申し訳ないことをした」

「わしが今こうして人並みの暮らしが出来るのは、その清衛門さんのおかげなんじゃ」としみじみと語った。

「そうでありやしたか・・・。その小椋清衛門はわしらの親でござりやす。」

いきさつを聞いて、ため息混じりに清衛門のせがれであることを明かした。

「何と申された。それはしかと本当か。奇遇というのもあるものだ。これも何かの縁であろう。この一貫はそのお返しとさせていただきとうござる」

「とんでもねえ。それとこれとは別物でござりやす。貧乏所帯ゆえ、何時とは申せませんが必ずお返しいたしやす。」そう言って、後ずさりしながら頭を深々と下げ、清吉親子は路地裏の夜道を帰っていった。

朧月が清吉親子の肩を柔らかく照らしていた。清吉親子の姿が見えなくなるのを見届けて、深々と頭を下げた。

 

    

 

 

平成22年4月10日

須郷隆雄