ビジャマリア情報]
2004.7.26
Villa Maria, Cordoba, Argentina
須郷 隆雄
7月9日の独立記念日から2週間、学校は冬休みです。私もこの冬休みを利用して北部アルゼンチンを旅行してきました。テルマス、サルタ、カファジャテ、フフイ、ウマワカいわゆるフフイ・サルタ1週間、3,000キロの旅です。
今回はその旅行記を報告します。
この北部アルゼンチンのサルタ州、フフイ州は、北はボリビア、西はアンデス山脈を挟んでチリと国境を接する地域です。従って、荒涼としたインカの香りのする山岳地帯です。標高は1,000メートルから4000mほどあります。昼は日差しが強く冬でも気温はかなり上がります。しかし夜は急速に温度が下がり、ここが亜熱帯かと思うほどです。
この地域は中部のスペイン・イタリア系、南部のイギリス・ドイツ系とことなり、ちょっと日本人に似た色の浅黒いペルー・ボリビアの影響を受けたインディオ系が多いように思います。先住民の名残と思われる地名がいくつかあります。家は殆んどレンガ造りですが、泥に草を混ぜて作った粗末なものです。サルタやフフイ市街は立派な街づくりですが、郊外は中南部に比べ貧しいという感じです。色の黒さが増すに従って、貧しさも増すような気がします。
しかし、何処へ行ってもフォルクローレです。ケーナ、チャランゴ、シーク、チャスチャ、ボンゴと民族楽器を駆使しての演奏です。それに歌に踊り、町はとても賑やかです。食事は先ずエンパナーダから、これは餃子の格好をして中に肉やチーズが入ったもので結構美味しいです。こちらではエンパナーダが無ければ食事は始まらないといった感じです。
とにかくアンデス沿いの高地のため、風景は茶色一色、緑らしいものはせいぜいサボテン、運搬用として、また肉、毛皮としてラクダの一種リャマが飼われています。とても大人しく愛嬌のある動物です。ヤギも多く飼われています。観光地のいたるところに日本で言う土産物屋があり、焼き物、毛織物を売っています。売っているのは先住民の血を引いたインディオたちです。ここがアルゼンチンか、ここもアルゼンチンなのかといった感じです。違ったアルゼンチンを発見したような気がします。
テルマスは温泉の町です。コルドバからバスで7時間、約600キロ北です。スペイン語でアグア・テルマルは温泉の意味ですが、テルマスはそれから取ったようです。町中が温泉で、どのホテでも温泉が出ます。しかし、お風呂に温泉が出るだけで大浴場はありません。聞くとプールに温泉をはって、どうぞお入りくださいとのこと。海水パンツを持ってきたので、温泉を入れること1時間、しかしとても入れる状態ではありません。期待値が高かったため、落胆この上なし。夜はカジノ。順調に勝つ。午前0時、7月9日独立記念日。カジノは一斉にストップ、全員起立し国歌斉唱。これには驚いた。以後ツキは何処へやら、オケラ街道まっしぐら。またしても落胆この上なし。
サルタへ。ツクマンを経てバスで4時間。標高1200メートルのかなり大きな町です。北部を感じさせる町ですが、立派な教会が多数あり、アラブの影響を受けた建物が多いようです。聞くところによるとアラブ系が多いとのことでした。夜はエンパナーダを口にフォルクローレを聞く。町は何処でもフォルクローレ。ケーナ、チャランゴ、シーククスで賑やかです。観光名所は雲の列車です。早朝7時から夜10時まで、週1回のみの運行で、4000メートルのアンデスまでのひたすら列車の旅です。インカ文明に迷い込んだような感じです。途中下車するインディオの集落では、家族総出で、しかもリャマ同伴で、お金、写真、みやげ物と大忙しです。風景をゆったりと堪能している暇はありません。
列車の中はフォルクローレのグループが演奏して回り、これに乗客が合わせ踊り歌い、何と賑やかなこと。高山病も手伝い、その晩はひたすらベッドへ。子供達のフォルクローレ演奏 雲の列車からアンデス
カファジャテはワインと焼き物の町です。アルゼンチンでは珍しく、白ワインで有名です。山は赤、黄色、茶と変化し、この土が焼き物に好いのかも知れません。悪魔ののど笛という所で、変わったオカリナを見つけ購入。しかし良い音は出ません。リャマとヤギが多く、昼はカブリート(子ヤギ)のアサードにしました。夜またフォルクローレの店でアサード。フォルクローレ漬けです。ビジャマリアの家族と会い、帰ったら必ず来いとの招待を受ける。
フフイへ。サルタからさらに北へバスで2時間。標高1600メートルの町です。フフイ州はボリビアとの国境の町でもあります。先住民やボリビアとの混血で、より一層インディオの香りがしてきます。民族楽器、焼き物、リャマの織物、宝飾品などの露店が目白押し。売っているのはもちろんインディオ。シークスとチャスチャという楽器を買う。カファジャテ、リャマと カファジャテ
ウマワカはフフイからさらに北へバスで3時間。標高2900メートル、アンデスの中腹にあります。町は先住民の名前で、まさにインディオの町です。7色の山とサボテンと泥造りの住居と強い日差しです。インディオの露店がいっぱいです。日本にいては考えられない異文化との遭遇です。このような荒涼とした高地に住み、文明が生まれたことを理解するには相当時間がかかりそうです。ウマワカ市街 フォルクローレクループと
最後の夜はタンゴで夕食。バスのトラブル(時刻表が無いに等しい、来た時が出る時)、警察の尋問(密入者多く尋問3回)、カメラ紛失騒動(しかし見つかる)と色々有りましたが、無事ご帰還。
これもアルゼンチンなのかという新たな発見、異文化との遭遇の旅でした。インディオはアジアの血なので、親近感と同情を感じる旅でもありました。それにしても、ポンチョ、ソンブレロ、ケーナ、シークス、シャスチャ、オカリナと民族衣装、民族楽器購入の旅でもありました。