ビジャマリア情報15
2005.2.1
Villa Maria, Cordoba, Argentina
須郷 隆雄
1年延長が決まったことから、今回は一時帰国途中のニュージランド、オーストラリアについて報告する。
年末に近づいた11月22日、コルドバ空港から帰国の途に着いた。
渡航手続きを済ませ、出発を待っていると1人の老紳士に声を掛けられた。その紳士はビジャマリアで生まれ、親族は今もそこに住んでいるとのこと。本人はシカゴに住み、3ヶ月に1度戻ってくるそうだ。私がビジャマリアをバスで出発しコルドバに着くまでの間ずっと見ていたとのこと。3月にまた戻るのでその時是非会いたいと住所とメールを教えてくれた。チリのサンチャゴ空港で別れるまで話に花が咲いた。幸先の良い旅立ちであった。何か楽しいことがおきそうな予感を感じた。
雪のアンデスを越え、1時間半のフライトでサンチャゴ空港に到着。インディオ系の顔立ちが多くなったような気がする。APECの会議に小泉さんが来ており、空港正面に2機の政府専用機が停まっていた。懐かしい日の丸であった。
太平洋をひたすら13時間、ニュージランドのオークランド空港に到着。手荷物検査で申告したにも拘らず1時間半の取調べを受ける。南米から来たと言うこととケーナ、シークス等の竹楽器、チャスチャ等のヤギの蹄楽器が引っかかったようだ。挙句の果てにスーツケースの隅から隅まで薬品検査を受け、それが全て反応してしまう。
マテ茶のせいかも知れない。最後にはスペイン語の解る検査官まで来て、異例の3人の検査官の取調べを受け、チャスチャを取り上げられたものの無罪放免。それからは親切なこと、スーツケースを持ってシャトルバスまで案内。しかし、ケースの中はごちゃごちゃだし、時間は遅れるしな んてこったいと楽しい予感が一気に吹き飛んでしまった。サンティアゴ空港の政府専用機 オークランド市街
オークランドの中心街は東洋系で溢れ返っていた。車は左しかも対面交通、坂が多く緑も豊か、アングロサクソン系の色白で尖がった顔。アルゼンチンから来た私にとってこれが英語圏の国かとカルチャーショックを覚えた。確かにここは大西洋ではない、太平洋の国なんだと東洋系の多いのに納得した次第。商売は中国系、旅行は日本人、特に女の子の2人連れ、定年後の夫婦が多いように見受けられた。
翌日、ワイトモ・ロトルアツアーに出かける。
中国系のホテルのロビーに下りると、同じツアーに参加するものと思しき1人ものの中年男性に会う。話すと何と某大手重工の工学博士。離婚し今は音楽教師と恋に陥っているとのこと。籍を入れるかどうかは別にして、3月ごろどこかへ新婚旅行をしたいとのこと。アルゼンチンを勧めると乗り気のようであった。今回の旅行は、老後ニュージランドが住むに値するかどうかの下見のようであった。私がアルゼンチンに戻ってからのメールで、「彼女の了解を得た、当面は籍を入れない」とのことであった。
このいい加減な博士と1日を共にすることになった。ワイトモ洞窟はツチボタルで有名なところで、下から見るとまるでプラネタリュームを見ているようだ。神秘的でもあり、幻想的でもあった。光を出すのは幼虫で、成虫は餌を食べる口が無くひたすら子孫を残し2〜3日で命を終えるそうだ。この光景をこの博士はどう見たであろうか。ワイトモ洞窟で博士どのと ロトルアの間欠泉
次にアグロドームというニュージランドスタイルのふれあい牧場と言うべきか、観光牧場に行く。やたら元気な滋賀県出身の青年が働いていた。動物も人も元気そのもので、この世にストレスなるものがあるのかと言った感じであった。ツアーの終わりは、ロトルア。北島のほぼ中心に位置し、間欠泉やマリオ文化を体験できるところだ。海水パンツを用意したが宿泊客以外は使用禁止とのことで残念。日本から来て近じかニュージランド人と結婚すると言う美人ガイドを夕食に博士ともども誘ってみたが、乗り気ではあったが土壇場で都合が付かずオジャン。夕食はこの博士とちょっといかがわしい韓国人が経営する江戸前寿司と書いてある店に入ってみた。日本で1年修行をしたとのことだが江戸前とは縁遠い料理であった。たまたま入ってきたドイツ人女性の2人組みにこれも食え、あれも食えと勧めると困ったような顔をして、しかし礼を言ってそそくさと出て行ってしまった。ドイツ女性はアルゼンチン女性と違ってお淑やかだ。この博士殿と一緒では実る恋も実らないわ。
朝3時に起き、6時出発、3時間半のフライトでシドニーへ。
シドニー空港はスムーズに通過する。しかし、手押し車が中国系の紳士の足を踏んづけてしまう。「ソリー」と言ったにも拘らず、いやな感情を満面であらわした。いささかこちらも気分を害してしまった。西洋系特にラテン系にこのような対応を受けたことは無い。東洋系の嫌らしさを感じ、同じ東洋系として残念な気分になった。
いやな気分のまま市街へ。もはやシドニーはアジアだ。アジア系が町に氾濫している。ワーキングホリデーを利用した日本人青年も多い。ニュージランドもそうだがオーストラリアもいずれアジア系が政権を取る日が来るのではないかと思うほどだ。オペラハウスで音楽を聴き、焼き鳥屋で一杯やる。姪がお世話になった70歳とは思えない元気な韓国女性にも会う。メルボルンは緑の多い静かな町だ。メルボルンのあるビクトリア州は酪農の盛んな地域で、生乳生産が全国の6〜7割を占めている。食品関係の商社、乳業会社の事務所が多いところでもある。シドニー、オペラハウス ブルーマウンテン、スリーシスターズ
1日さいてブルーマウンテンに行く。ここはアボリジニ人が2,200年以上前に住み着いたところであり、世界遺産にも指定されている。ブルーマウンテンとは、ユウカリから発するオイルが山全体をブルーに彩るとのことからその名が付いたと言われている。地質的にはアメリカのグランドキャニオンと同じとのことで、グランドキャニオンも何千年かすればブルーマウンテンのような植生に成るであろうと地元の人は話していた。ブルーマウンテンウォーキングコースは定年後の老夫婦と78歳の母親と娘それに私の5人で、それにせっかちで早口のガイドという妙な組み合わせであった。ユウカリオイルの香りを全身に浴び、何となくくつろいだ気分になった。ガイドの勧めで、薬局から5本ほど土産に購入した。これはお勧め品だ。
いよいよ帰国。シドニーからケアンズへ3時間、そして一路成田へ。7時間40分のフライトを終え、1年ぶりに日本の土を踏む。懐かしさがこみ上げてきた。