ビジャマリア情報16
2005.2.5
Villa Maria, Cordoba, Argentina
須郷 隆雄
1年ぶりに帰国し、1年間のアルゼンチン生活を通して見た日本について報告する。
12月1日、成田で妻子の出迎えを受け、遅い団欒のひと時をなつかしの我が家で過ごした。翌朝は遅くまで床を離れることが出来なかった。午後2時半,突然電話が鳴り響く。「お父さん、事故をやっちゃったの。子供が飛び出してきたの。意識がないの。今上野警察で取調べ中なの」と娘の涙声。私は動転し、「今すぐ行く」と言うと会社の顧問弁護士と名乗るものが電話を変わり「娘さんは動転し、十分に喋れない状態なので同席してます。取調べ中なので、そのまま待機していてください」とのこと。私は着替えを済ませ、待つこと30分。再び顧問弁護しなるものから電話が入る。「どうですか」と聞くと、また「暫くお待ち下さい」とのこと。それから永遠3時間待ち続ける。子供が死んだらどうしよう。これで帰国の1ヶ月は事後処理でつぶれるなと悶々とそのときを過ごす。ついに痺れを切らし、娘の携帯に電話する。出ない。留守電にメッセージを入れる。暫くして娘から電話があり、「お父さん、どうしたの。今日は1日中事務所にいたよ」とのこと。ホッとすると同時に、これがおれおれ詐欺かと愕然とする。上野警察に問い合わせるとそのような事故はないし、取調べに最初から弁護士が入ることはないとのこと。それにしても帰国2日目がこれである。タイミングが良すぎるし、娘に成り代わった女の子の演技の上手さに感心してしまった。日本もあまり治安が良くないなと感じた次第。しかし、その後毎日テレビを賑わしている犯罪の多いこと、誘拐・殺人・強盗・放火など陰湿な犯罪が多く、世界で最も安全な国と言われている日本とは思えない。アルゼンチンもブエノスアイレスはあまり治安が良くないと言われているが、日本より悪いとは思えない。私の住んでるビジャマリアは犯罪とは無縁の町だ。帰国報告のため流山市長を訪問 姉妹校提携のため北海道の大学学長を訪問
日本は物が豊富だ。自動車、電子機器などハイテク製品が氾濫し、しかも毎日のように新製品が出ている。食料も豊富、しかも新鮮で衛生的、店は明るく綺麗だし、非常に効率的だ。町も綺麗で全てが舗装されている。国土は狭いとはいえ、豊かな自然と四季折々の変化を楽しめる。こんな素晴らしい国は他にはないように思える。アルゼンチンと比べると天国のような気がする。しかし物価は高い、衣食住の生活の基本部分が高いように思う。
物は豊富だが日本人は心が病んでいるように見える。笑顔がない、挨拶がない、人を思いやるゆとりがない。精神が荒廃しているといえば言い過ぎか。朝晩の通勤電車はまるで護送列車だ。寡黙ですし詰めで、ひたすら耐えている。せいぜい元気なのは、昼時の子連れとおばさんグループだけだ。幸せのために働くのに、仕事が生活を犠牲にしている。これはいったいどういうことなのだ。1年前までは私も疑問を感じつつも、これが世界の常識だと思っていた。その点、アルゼンチンは物は豊かではないが、町に出れば大道芸、電車の中ですら歌と演奏があったりする。生活をエンジョイするために仕事をする。決して急がない。バカンスは1ヶ月は常識。いったいこの違いは何なのか。人種の違いと言ってしまえばそれまでだが、価値観が違うような気がする。日本人は走り始めると止まることを知らない。休むことをしないと言うべきか。何時か大コケをするような気がしてならない。アルゼンチンがいいとは言わないが、今一度日本人の生き方を見直す必要があるように思える。
日本に帰って面白い本を読んだ。「おにばば化する女たち」。結婚はしない、子供は生まない、健全な性生活をしない。これはいずれ精神的にも肉体的にもストレスがたまり、おにばば化すると言うのである。結婚に期待が持てない人々が増えたと言うことだと思う。出産育児は女性にとって辛いもの、個食が進み家庭は崩壊状態、亭主元気で留守がいいとなれば、結婚への期待値は下がるばかりだ。この状態を放置して、少子高齢化を嘆いても始まらない。社会的価値観、構造を変えない限りこれに歯止めを掛けることは出来ないように思う。今こそ社会の基本単位である家庭というものを見直す時なのかも知れない。私を含めて・・・。懐かしき友との再会(秩父温泉) 剣道姿
走る続ける日本、止まることを知らない日本。いったい何処へ行くNIPPON。今、ケアが必要なのは日本なのかもしれないという思いを残し、1月10日アルゼンチンに向け再び飛び立った。