ビジャマリア情報19

2005.3.30

Villa Maria, Cordoba, Argentina

須郷 隆雄

 

 ブエノスアイレスへ出張した折、週末を利用し、隣国ウルグアイに行ってみた。

 ウルグアイは人口340万人の小さな国だ。かつてはアルゼンチンと同一国であったが大河ラ・プラタ川に遮られ、交通が遮断されていたことから分離独立したと聞く。

 ブエノスアイレス港から川と言うより海と言った方が適切と思われる大河ラ・プラタ川に船出する。プラタとは銀を意味するが、銀とはおよそ縁遠い茶色の大河だ。ラテン語でアルヘントスは銀という意味だ。アルヘンティーナはこれから生まれた国名だそうだ。言うならば銀の国である。日本はジパングといわれ、黄金の国を意味したのと同じだ。金の国と銀の国、なぜか兄弟のような気がしてきた。

 水平線だけの川をひたすら3時間、ウルグアイに向かう。船内はいたって快適、ホテルのロビーのような雰囲気だ。昨晩の疲れも手伝って、しばし居眠り。目を覚ますと隣にいた老人から声を掛けられる。顔はラテン系だがカリフォルニアに住んでいるという。ウルグアイのリゾート地でしばしバカンスを楽しむとの事であった。老人と思ったが、年齢を聞くとなんと50歳とのこと。私より若い、つい自分の年齢を言いそびれてしまった。

        

       ブエノスとコロニアを結ぶ船内        世界遺産コロニア

 コロニアに到着。ここは世界遺産にもなっているが、石畳で出来た殖民当時の面影を残す小さな南欧的な町だ。ドルとアルゼンチンペソとウルグアイペソが通用する何処となくアメリカ的な雰囲気がある。大道芸の一団が太鼓を鳴らし、踊りながらやってくる。写真を1枚、チップ2ペソ。腹もすいてきた。海のようなラ・プラタ川を見、隣の店の弾き語りを聞きながらアサードで昼食。何とも言えぬ心地良さ、川があるためか石畳のせいかは解らない。うとうとする時間を過ごす。食事代、アルゼンチンペソで33ペソ、ウルグアイペソでは260ペソだった。

            

      大道芸人           大河ラ・プラタを見ながらの食事

 コロニアからバスで2時間、首都モンテビデオに向かう。モンテビデオとは、「山が見えた」という意味のようだが、山らしいものは見当たらない。多分丘であっても、大西洋を渡ってきたスペイン人には山に見えたのであろう。

 翌日、車を1台予約し、2時間の市内観光をする。こちらはジーパン姿なのに運転手はネクタイをしてきた。モンテビデオには人口の半分、約150万人が住んでいるという。プラタナスの並木が多く、静かで綺麗な町だ。79日通りがアルゼンチンではメイン通りだが、ウルグアイでは718日通りという。独立記念日がアルゼンチンでは79日だが、ウルグアイは718日。納得。アルゼンチンでは道端に地蔵さんのようにマリア像が沢山あるが、ウルグアイでは見かけない。何故かと聞くが良く理解できない。カトリックであることには間違いないようだ。海沿いというか川沿いは最早リゾートという雰囲気だ。散歩、ジョギングをするものも多い。ゴルフ場もあり、メルコスールの本部がある所でもある。インディオの像がある。見ているとわざわざ車を止めて説明してくれる。ガウチョの像がある。見ていると露店の主人がマテ茶の飲み方を説明する。挙句のはて、マテの相伴に与かる。この国も皆良きアミーゴ達だ。途中「こんにちわ」と挨拶するものがあった。振り返るとこの国の若者だ。手を振って応える。2時間で40ドル、ちょっと高いような気がした。

 モンテビデオ港で中国人と会う。ブエノスから商売できたようだ。私にトヨタかと聞くからNOとだけ応えた。今度は日本から1人旅の女性と会う。聞くと、富山の大学で看護学を専攻し、3月卒業で4月から都立の某有名精神科病院に勤務するとのことであった。年齢を聞くと28歳、家の娘と一緒だ。カナダ経由でチリ、アルゼンチンそしてウルグアイに来たとのこと。帰りはイグアスの滝を見てブラジルによって帰るとのことであった。船の中での3時間半、旅のこと、アルゼンチンのこと、これからの人生のこと、自分の娘と話しているような懐かしさを覚えた。もう1組、これは東京から来た学生2人連れ。この3人に船内で昼食をご馳走する。東京2人組みは距離を置いて座っていたのでそのまま別れたが、富山の女性にはブエノスで中華料理をご馳走し、バスターミナルからイグアスの滝行きのバスに乗せ、見送ってあげた。日本からの往復の飛行機代が9万円だと言う。安い航空券を利用して、世界を見て回る情熱に感動するとともに、無事の帰国を祈らずにはいられなかった。日本の若者も健在だ。

        

         大統領府                インディオ像
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