ビジャマリア情報20

2005.4.10

Villa Maria, Cordoba, Argentina

須郷 隆雄

 

 324日から27日までの木曜日から日曜日はセマナ・サンタ(聖週間)といって祭日である。キリストの復活を祝うための休日だ。

 クチスチャンではない私は、この休みを利用してサン・ファン州にあるヴァジェ・デ・ラ・ルナ(月の谷)とタランパジャへ12日の旅行を行った。ここはアルゼンチンの西部にあたり、さらに西はアンデス山脈だ。23千万年前は、湖と渓谷の緑豊かな豊穣の地であったという。当時は恐竜も棲んでおり、その化石もある。今は乾燥し砂漠状態で、まさに月世界である。

 コルドバから夜11時、40名のツアー客とともに旅立つ。初めての団体旅行だ。家族連れあり、友達同士、老夫婦、二人連れ、それに独り者と様々である。ちなみに単身参加は、私とスイスからスペイン語を勉強に来ている年の頃245の女学生であった。名前はサンドラ・カイセル。偶然にも隣の席、楽しい旅の予感。聞くと彼女はアルゼンチンに来て6ヶ月、後2ヶ月スペイン語を勉強してアルゼンチン、ブラジルを旅行し帰るとのこと。スペイン語は既に私よりはりかに上手である。日本にも3ヶ月いたという。東京、京都、広島、長崎などを回ったとのことだ。アジアでは韓国に1ヶ月、タイにも行ったそうだ。すごい。スイスは地方によってドイツ語、フランス語、イタリア語を話すという。その地域の人が他の言語圏に行くと話が通じないと言っていた。全体的にはドイツ語とのこと。彼女もドイツ語、学生時代に習った「ダンケ・シェ」と「イッヒ・リーベ・ディッヒ」を言ってみた。とても大事な言葉ですと喜んでくれた。世界には、日本では理解できない国が沢山あることを知る。

        

         月の谷:渓谷           月の谷:モニュメント

 バスに乗ること8時間、なだらかな稜線が朝日に染まる月の谷に朝7時に到着。肌寒い、突然月の世界に降り立ったようだ。観光地というよりキャンプ村といった感じだ。1人コーヒーをすする。2人の運転手とガイドが仲間に入る。色々話すうちに、日本のことを尋ねる。最後に漢字で名前を書いてやる。大喜びだ。これでガイドたちとも意気投合。益々楽しくなりそうだ。

 ここはイスチグアスト州立公園の中にある。公園管理員が付き添いで説明してくれる。うんうんと聞いてはいるがほとんど理解できない。本当に月世界という感じだ。夜来たら、きっと夜空に青い地球が見えるのではないかと錯覚するほどだ。2億年前は湖だったという。そこに恐竜が群れを成していたと想像するだけで、世界観が変わりそうだ。今は遠くにリャマが群れを成している。トーテムポールのような石のモニュメント、ボーリング球のような石の球、かつての湖底を思わせる丘陵、空は雲一つ無いぬけるような青だ。語彙不足で、十分にその景観を伝えられないのが残念だ。4時間あまりのバスでの周遊を終え、テント村の食堂に戻る。予約席で一杯だ。座る席に戸惑っていると夫婦連れに合席を勧められる。同じバスのツアー仲間だ。話すと、以前日本に1ヶ月、それも長野にいたことがあると言う。コルドバの小学校で教師をしているそうだ。私もビジャマリアの大学に勤務していることを話すと意気投合し、今度家に食事に来いとの誘いを受ける。

        

   月の谷:カンチャ・デ・ボーチャ         ディノザウルスと

 テント村内にある博物館に入ってみる。とても博物館といえる代物ではない。しかし、公園内の風化の防止、化石の保護、恐竜の化石など懇切丁寧に説明してくれる。当時、ディオザウルスという体長5メートルほどの恐竜が棲んでいたそうだ。何故かそこに、日本文で「翼竜の謎−消えたリンコサウルス」という雑誌記事が掲示されてあった。

 4時過ぎ、月の谷を後に一路ホテルに向かう。州境で警官の取調べを受ける。何のためかは解らない。ラ・リオハ州の小さな村ビジャ・ウニオンに到着。ホテルは1軒のみ、回りはブドウ畑。遠くに雪を頂いた山並があり、素晴らしいロケーションだ。ここはワインの産地でもあり、夕食が楽しみだ。

 月世界の埃をシャワーで落とし、915分前に食堂に行くと9時からだと断られる。915分過ぎに行くと最早一杯だ。またしても何処に座るか迷っていると女性3人組から合席を勧められる。助かった。この3人組はコルドバの近くのアルタ・グラシアに住んでいるという。1人は車椅子であった。当地のワインを1本サービスし、日本の話に集中する。またもや漢字で名前を書けという。そうこうしているうちに回りの仲間も集まり、日本談義に花が咲く。回りを見渡すと最早誰もいなくなっていた。親善大使役を十分に果たす。

 翌朝、隣のぶどう園に行ってみた。馬の親子が2頭繋がれている。馬の頭を撫でていると、そこの親爺が出てきて話しかける。日本から来たというと、日本という国は何処にあるんだと聞く。この親爺の頭には、日本という国は存在しないようだ。コルドバすら外国なんだろう。面白い親爺だ。

 バスの中でグループごとに自己紹介。「始めまして、日本から来た須郷と申します。今ビジャマリアに住んでおります。家族は東京の近くの千葉におります。現在、ソルテーロ(独身)です。よろしく。」と手短に挨拶すると万雷の拍手。一気に友好が深まった。続いてスイスの女性も。私とは違って流暢なスペイン語で挨拶、何を言ったかは良く解らなかったが、同様に拍手喝采。

        

     タランパジャ:50mを越す岩壁     タランパジャ:乾燥に耐えた林

 タランパジャは国立公園の中にある。やはり2億年前は、豊富な水をたたえた渓谷だったようだ。今は一面アンツーカーのような赤茶けた岩肌だ。マイクロバスに乗り換え目的地に向かう。50メートルを超える切り立った岩肌がそそり立つ。岩肌には先住民族アボリヘネスの絵文字や彫刻、デザインが刻まれているが、ほとんどが崩れ落ち、遺跡としての価値を失いかけている。いずれ消滅してしまうだろう。支援の手が必要だ。

 300年前の木が乾燥に耐えて生えている。ちょっとした林を構成している。プロ・アスール、プスプス、チャニャール、ピチャーナなど、聞いたことのない名前の木が繁茂している。高いものは10メートルに及ぶものもある。半円筒状に刳り抜いたような岩壁の前で、皆と一斉に大声を出してみた。反響して木霊が返ってくる、しかも鮮明に。渓谷を通り抜けると今度は、宮殿のような岩、僧侶のようなモニュメント、高層ビルのような岩壁、死の谷というよりも死の町を歩いているような錯覚に襲われる。モニュメントの前で40人のツアー仲間と記念撮影。

       

     タランパジャ:モンヘ         ツアー仲間40人と

 昼食は昨日の小学教師夫妻と年配の親子連れと同席し、ウミータなるものを食べた。これは日本のちまきのようなものだ。とうもろこしを潰して、その皮で包み蒸したものだ。初めての試みであったが、なかなか美味しいものであった。先生教師の言うことには、ここは年5回程度しか雨が降らず、しかもそれは春だけとのこと。乾燥で唇が痛くなってきた。

 帰りのバスの中、皆疲れはて居眠り。目覚めを見計らって、ガイドがビンゴを始める。日本とはちょっと違ったビンゴだ。紙を渡され、縦に四つ、横に二つの合計八つのマスを作る。そこに1から42までの数字のうち、好きな数字を書き込む。ガイドが読み上げ、全部消えたらビンゴである。なかなかそこまで理解できず、スイス女性の助けを借りて挑戦。団体旅行の楽しさを味わった。

 左に満月、右に南十字星を見ながら、月に照らされ仄かに明るい国道38号線をひたすらコルドバへ。11時に着く予定がなんと2時半、皆別れを惜しみつつも足早に家路を急ぐ。スイス女性とは不可能を承知で、スイスでの再会を約し別れる。それから1人ビジャマリアに向かう。着いたのはまだ仄の暗い朝6時であった。疲れたが今までに味わったことのない楽しい旅であった。親善大使の役を果たしたような気分だ。日本とアルゼンチンが一層近づいたような気がする。

>戻る