ビジャマリア情報20
2005.4.10
Villa Maria, Cordoba, Argentina
須郷 隆雄
3月24日から27日までの木曜日から日曜日はセマナ・サンタ(聖週間)といって祭日である。キリストの復活を祝うための休日だ。
クチスチャンではない私は、この休みを利用してサン・ファン州にあるヴァジェ・デ・ラ・ルナ(月の谷)とタランパジャへ1泊2日の旅行を行った。ここはアルゼンチンの西部にあたり、さらに西はアンデス山脈だ。2億3千万年前は、湖と渓谷の緑豊かな豊穣の地であったという。当時は恐竜も棲んでおり、その化石もある。今は乾燥し砂漠状態で、まさに月世界である。
月の谷:渓谷 月の谷:モニュメント
バスに乗ること8時間、なだらかな稜線が朝日に染まる月の谷に朝7時に到着。肌寒い、突然月の世界に降り立ったようだ。観光地というよりキャンプ村といった感じだ。1人コーヒーをすする。2人の運転手とガイドが仲間に入る。色々話すうちに、日本のことを尋ねる。最後に漢字で名前を書いてやる。大喜びだ。これでガイドたちとも意気投合。益々楽しくなりそうだ。
月の谷:カンチャ・デ・ボーチャ ディノザウルスと
テント村内にある博物館に入ってみる。とても博物館といえる代物ではない。しかし、公園内の風化の防止、化石の保護、恐竜の化石など懇切丁寧に説明してくれる。当時、ディオザウルスという体長5メートルほどの恐竜が棲んでいたそうだ。何故かそこに、日本文で「翼竜の謎−消えたリンコサウルス」という雑誌記事が掲示されてあった。
4時過ぎ、月の谷を後に一路ホテルに向かう。州境で警官の取調べを受ける。何のためかは解らない。ラ・リオハ州の小さな村ビジャ・ウニオンに到着。ホテルは1軒のみ、回りはブドウ畑。遠くに雪を頂いた山並があり、素晴らしいロケーションだ。ここはワインの産地でもあり、夕食が楽しみだ。
月世界の埃をシャワーで落とし、9時15分前に食堂に行くと9時からだと断られる。9時15分過ぎに行くと最早一杯だ。またしても何処に座るか迷っていると女性3人組から合席を勧められる。助かった。この3人組はコルドバの近くのアルタ・グラシアに住んでいるという。1人は車椅子であった。当地のワインを1本サービスし、日本の話に集中する。またもや漢字で名前を書けという。そうこうしているうちに回りの仲間も集まり、日本談義に花が咲く。回りを見渡すと最早誰もいなくなっていた。親善大使役を十分に果たす。
翌朝、隣のぶどう園に行ってみた。馬の親子が2頭繋がれている。馬の頭を撫でていると、そこの親爺が出てきて話しかける。日本から来たというと、日本という国は何処にあるんだと聞く。この親爺の頭には、日本という国は存在しないようだ。コルドバすら外国なんだろう。面白い親爺だ。
タランパジャ:50mを越す岩壁 タランパジャ:乾燥に耐えた林
タランパジャは国立公園の中にある。やはり2億年前は、豊富な水をたたえた渓谷だったようだ。今は一面アンツーカーのような赤茶けた岩肌だ。マイクロバスに乗り換え目的地に向かう。50メートルを超える切り立った岩肌がそそり立つ。岩肌には先住民族アボリヘネスの絵文字や彫刻、デザインが刻まれているが、ほとんどが崩れ落ち、遺跡としての価値を失いかけている。いずれ消滅してしまうだろう。支援の手が必要だ。
タランパジャ:モンヘ ツアー仲間40人と
昼食は昨日の小学教師夫妻と年配の親子連れと同席し、ウミータなるものを食べた。これは日本のちまきのようなものだ。とうもろこしを潰して、その皮で包み蒸したものだ。初めての試みであったが、なかなか美味しいものであった。先生教師の言うことには、ここは年5回程度しか雨が降らず、しかもそれは春だけとのこと。乾燥で唇が痛くなってきた。
帰りのバスの中、皆疲れはて居眠り。目覚めを見計らって、ガイドがビンゴを始める。日本とはちょっと違ったビンゴだ。紙を渡され、縦に四つ、横に二つの合計八つのマスを作る。そこに1から42までの数字のうち、好きな数字を書き込む。ガイドが読み上げ、全部消えたらビンゴである。なかなかそこまで理解できず、スイス女性の助けを借りて挑戦。団体旅行の楽しさを味わった。