ビジャマリア情報23

 

2005.6.10

Villa Maria, Cordoba, Argentina

須郷 隆雄

 

 会議のためブエノス・アイレスに出張する。朝4時半起きだ。6時のバスに乗り,コルドバ空港に向かう。凄い霧だ。嫌な予感。今回利用する航空会社はラン・アルヘンティーナ。新たに出来たラン・チリとの共同会社だ。サービス期間で、航空運賃は他社の半額。チェックインに手間取る。出発時間に近い。「出発時間は何時か」と聞くと、「少しの遅れ」と答える。搭乗口は人でごった返している。外を見ると、飛行機は見当たらない。搭乗案内には「遅れ」とだけ表示されている。会議には間に合わない。ブエノスと電話でのやり取り。遅れること3時間。12時半搭乗開始。聞いたことも無い航空会社の飛行機だ。しかもぼろ飛行機。指定の座席が無い。落ちるのではないかという心配をよそに、無事飛び立つ。安い航空券を買ったためかと反省しつつブエノス空港に到着。大使館に寄り、会議場に着いたのは3時半だった。夜は久しぶりに日本食店で,寿司、刺身、天ぷらをほお張った。しかも日本酒で。1時にホテルに戻る。疲れた1日だった。

 翌日、目を擦りつつターミナルへ。ブエノス・アイレスから北に300キロ、バスで4時間ほどのところにあるエントレ・リオ州コンセプシオン・デル・ウルグアイという町の近くにある、サン・ホセ宮殿を見に行くためだ。

 エントレ・リオ州はブエノス・アイレス州の北に位置し、パラナ川とウルグアイ川に挟まれた農業、畜産の盛んな緑豊かな州だ。人口は115万人。ミシオネスとコリエンテスをあわせ、メソポタミア地方という。両河川に囲まれているためだ。メソポタミアといえば、チグリス・ユーフラテス川に囲まれた四大文明発祥の地であるが、メソポタミアとは、河川に囲まれた地域のことをいうようだ。パラナ川とウルグアイ川はブエノスで合流し、大河ラ・プラタ川となる。

 8時半に出発したバスは、地平線しか見えない緑の草原をひたすらコンセプシオンへ。川に囲まれた湿潤地帯のためか、ビジャマリアより緑が綺麗だ。バスはやけに静かだ。誰もが眠りに落ちている。途中雷雨を経て、小雨煙るコンセプシオンに到着。人口7万人の小さいが落ち着いた綺麗な町だ。ホテルで昼食を済ませ、タクシーでサン・ホセ宮殿へ向かう。30キロ、30分だ。この宮殿は、世界遺産にも登録されている。タクシーを待機させ、宮殿内へ。

 この宮殿はフスト・ホセ・デ・ウルキーサという人が1856年に家具や食器類をフランスやイタリアから取り寄せ、贅を凝らして造ったものだ。運輸、鉄道で財を成し、政治、教育に多大な貢献をしたとも聞く。アルゼンチン初期の大統領も務めているとのことだ。今はこの世界遺産とバス会社ウルキーサが残るだけだ。しかし、当時の上流階級の生活様式を知る上で、貴重な財産である。うまくは表現できないが、中世ヨーロッパの王侯貴族の生活ぶりが覗える。小雨に濡れる宮殿内を歩きながら、当時の上流階級に思いをはせてみる。馬車に乗り、水遊びをし、ダンスに興じる。しかし、現実とのギャップが大きすぎて、とても想像の域に達しない。これ程の財産を十分に管理出来ていないのが残念だ。

      

    サン・ホセ宮殿               応接室

 売店に立ち寄る。「何処から来たの」「何をしているの」と矢継ぎ早の質問。「日本から来た」「ビジャマリアの学校にいる」と答えると「日本は技術力があり、豊かで、素晴らしい国だ」と持ち上げる。人だかりになる。しばし質問攻め。こちらの人は遠慮が無い。よく「遠慮することは遠慮した方がいいよ」と言われる。謙譲の美徳は通用しない。自己主張の強い国だ。「マテ茶は好きか」と聞く。「大好きだ」と答えると飲め飲めとやかましい。ポンチョを買うと「ポンチョとマテで写真を撮ろう」と集まってくる。楽しいおばさんたちだ。 

         


 寝室               愉快なおばさん達

 2時間も待たせたタクシーに乗り込む。運転手は上機嫌で迎えてくれる。この地域は養鶏が盛んなようだ。確かに広大な牧草地にぽつんぽつんと鶏舎が見える。町に近づくとトヨタ、ホンダの看板が目に付く。美味しい店を聞くと「ここだ」と指をさして教えてくれた。タクシー代28ペソ(1,120円)、30ペソ渡すと「アマブレ(親切な)」と言って握手を求めてきた。

 シャワーを浴び、珍しくアスコットタイで正装して、教えられたレストランへ行ってみる。9時なのにお客はまばらだ。アサードの店だ。「カバジェロ(紳士)」とウェイターが注文を取りに来る。もちろんアサードを注文する。客が続々と入ってくる。美味しそうな予感。チンチョリ(内臓)、モスティーシャ(血のソーセージ)、チョリソー(ソーセージ)、カルネ(牛肉)と次々に出てくる。焼肉のフルコースだ。大体、内臓からこの順番で出てくるのが一般的だ。ライオンが獲物をしとめると内臓から食べると言うが、食べ方は同じだ。彼らはライオンかピューマの末裔なのだろう。日本と同様、端から埋まっていく。10時半、満席状態だ。1人で食べているのは私だけ。入り口に10人ほど待っている。「ラ・クエンタ(勘定)」と言って、支払いをする。17ペソ、安い。2ペソチップを渡すと、また「アマブレ」と礼を言う。タクシーやホテルで美味しい店を聞くと、大概はずれはない。安くて美味い、大衆的な店を紹介してくれる。ちょっといい気分で、しかもほろ酔い加減で寒空の夜道を帰る。

 今日は、打って変わって快晴。ホテルの食堂で、隣の老夫婦が何やら話しかけてくる。どうも、向こうのパンの方が美味しいと言っているようだ。年の割に良く食べる。

 町の中心に必ず教会がある。カトリックは聖母マリアを中心に祭ってあるところが多い。1人のご婦人が祈りを捧げている。他には誰もいない。帰りがけ、キリストの像に手を触れて帰る。何か願い事があるのだろう。シーンとした教会の中に1人でいると何故か心が落ち着く。旅に出た朝は必ずといっていいほど良く教会に行く。懺悔の気持ちがあるからだろう。

 ターミナルで、見送りに来た男の子が別れを惜しみ、涙をこらえている。父親に手を引かれて、振り向かずに帰っていった。何故か私も目が潤んでしまった。お婆ちゃんが盛んに孫へ投げキッス。バスが出るまで手を振っている人。別れ方には色々ある。しかも別れには何時もドラマがある。

 空港はまたもや大混み。長蛇の列だ。「預け荷物の無い人は2階でチェックインできます」と言う。変だと思いつつも時間に間に合わないので行ってみる。そんな場所は無い。また最後尾に並ぶ。同じ目に会った人がもう1人いて、2人で抗議する。既に出発時刻はとっくに過ぎている。「出発は何時になるの」と聴くものもいる。回りから笑いが起きる。チェックインを済ませると、先ほどの案内人が「ディスクルペ(すみません)」と謝ったので、ここはアルゼンチン「しょうがないか」と諦める。最早登場口には誰もいない。しかし飛行機は待機中。30分遅れで出発する。

 動くと何か新しい体験がある。これが私を旅に駆り立てる要因かも知れない。
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