ビジャマリア情報24

 

2005.6.20

Villa Maria, Cordoba, Argentina

須郷 隆雄

 

 620日は、アルゼンチンの国旗制定記念日だ。1812年ベルグラーノ将軍によって、国旗が制定された日である。

 ボランティア仲間から誘われ、ロサリオに行くことにした。ここは、アルゼンチン国旗が最初に掲揚されたところでもある。

 ロサリオは、アルゼンチン第3の都市だ。人口100万、湿潤パンパ穀倉地帯の中心部にあり、穀物、畜産物の集散地、積出港として発展してきた商工業の中心地で,ブエノス・アイレスから北西300キロのパラナ川沿いにある。国道9号線で、ビジャマリアとブエノスのちょうど中間に位置する。「住むには最高の町」といわれている。「母を訪ねて3千里」でも知られた町だ。

 「母を訪ねて三千里」は、マルコ少年が祖国イタリアのジェノバからマルセイユ、バルゼロナ、ダカールを経て、南米リオ・デ・ジャネイロそしてアルゼンチンのブエノス・アイレス、ロサリオを経てコルドバからツクマンの母を訪ねる3千里の物語だ。その距離はなんと15,200キロ、9,500里に及ぶ。マルコ少年が上陸した港、それがロサリオである。

 朝8時、朝焼けのビジャマリを出発する。ロサリオまで300キロ、4時間である。本来なら深夜3時に出発し、8時からゴルフをする予定であったが、昨夜10時にコルドバから帰宅したため起きられなかった。見渡す限りの牧草地に、牛が悠然と草を食んでいる。朝寝坊しているものはいない。牛さんは早起きだ。途中、お婆さんが乗ってくる。私の隣の席のようだ。なかなか座れない。巨大なお尻が邪魔しているようだ。手を貸す。笑顔で礼を言う。なんだか急に窮屈になってきた。若者熟睡。車掌に起こされ、転げ落ちるように降りていった。

 午後、パラナ川遊覧に行く。ボランティア仲間6人、それも野郎ばっかりのシルバーだ。どう見ても異様な集団だ。川から見ると川沿いにヨットハーバーあり、海水浴場(淡水?)ありで、リゾートという観もある。「住むには最高の町」という意味が解るような気がする。しかし、「ワニがいる」という乗客の声にびっくりした。実際にいるようだ。7キロに及ぶ橋が架かっている。日本の援助で出来たとのこと。レインボーブリッジのようなスマートで近代的な橋だ。アルゼンチンらしくない。

 遊覧2時間。下船時、記帳を求められる。「日本国千葉県流山市、須郷隆雄、日本―アルゼンチン友好」と日本語で記帳した。国旗公園では、明日の記念式典のため、軍隊が盛んに行進練習をしている。帰りがけ、チェ・ゲバラの生家と記念公園を見に行く。生家は重厚なマンションの一室であるようだが、何の表示もされていない。しかもそこには誰だかわからないが、人は住んでいるそうだ。ゲバラ公園もお粗末だ。公園というよりは広場。はめ込みのプレートと肖像モザイクがあるだけだ。政治的評価は賛否両論があり、取り扱いに苦慮しているようだ。ゲバラの父親は海運会社のオーナーであり、上流階級の出であることは間違いない。

        

チェ・ゲバラ公園            ボランティア仲間

 

 倉庫を改造した小奇麗なレストランへ、8時半開店にも拘らず8時に行く。まだ準備中だ。日本人はせっかちでいけない。最早、11人全員揃い踏みだ。しかし開店1時間もしないうちに満席。魚のアサードを始めて食べた。実に美味い。外国慣れした先輩は、醤油まで持参だ。注文が多過ぎて、鍋奉行はあっちへ行ったりこっちへ来たり収拾が付かない。「船頭多くて船、山に登る」である。しかし、楽しい3時間であった。

       

国旗公園広場             行進の日章旗

 

 今日はいよいよ記念式典だ。絶好の式典日和。またもや8人の団体さん。旗を持ったら農協さんだ。途中、アルゼンチンの小旗を買う。1人買うと、これがまた全員が買ってします。やっぱり日本人だ。式典までは2時間ある。あっちへぶらぶら、こっちへぞろぞろ。旗の一団がやってくる。何と旗の長さが1,000メートル、町の中を蛇のようにうねっている。ギネスブックに載っているそうだ。それも毎年更新しているとのこと。バンデーラ(旗)好きな国民だ。ピケテーロの一団がやってくる。鳴り物入りで、旗を掲げて。旗は国旗ではない。抗議文を書いた横断幕だ。ゲバラの絵も描かれている。彼らにとって、ゲバラは英雄だ。特等席を占拠して、気勢を上げている。黒装束で白手袋の女性集団がいる。「何者か」と聞けば、手話のボランティアだそうだ。予定時刻30分遅れで、キルチネル大統領がヘリでやってくる。これがまた、とりとめも無い話を長々とする。いい加減腰が痛くなってきた。芝生に寝転がって、パレードに移るのを待つ。各国移民の民族衣装をまとい、国旗を持っての行進だ。日本は着物のお嬢さん2人の参加であった。出来れば振袖を着て欲しかった。

 腹も減ってきた。6人の集団で中華料理店へ。100万の都市でも日本料理店はないそうだ。旅なれた諸先輩の手際よい注文で、目の前は中華料理がずらり。飲み食べるに従い、会話が弾む。久々に、アルゼンチンの政治経済を議論する。サラリーマンの一杯飲み屋での議論と一緒だ。なんとなく懐かしい。アルゼンチン人は決してこういう席ではややっこしい話はしない。とにかく楽しむことに徹する。やはり日本人は生真面目だ。飲むと議論する国と飲むと歌う国の違いだ。しかし皆さん、なかなかのキャリアと経歴の持ち主、含蓄がある。何とこのうち4人が九州の出身、2人は中国で生まれたとのこと。海外生活も豊富なようだ。海外生活初心者は私だけであった。

 ほろ酔い加減でバスに乗り込む。程なくして眠りに付く。目が覚めると9時、ビジャマリアであった。何とも異様な親爺集団の旅、というより観光であった。