ビジャマリア情報28

 

2005.8.5.

Villa Maria, Cordoba, Argentina

須郷 隆雄

 

 コルドバ周辺の世界遺産、エスタンシアを訪れた。

 現在、アルゼンチンには世界遺産が8ヶ所ある。南のパタゴニア、北のウマワカ(先住民跡地)、タランパジャ(奇岩群)、イグアスの滝、それにイエズス会伝道施設などだ。

 エスタンシアとは農園を意味するが、1600年代にスペインのイエズス会が開いた大農園のことである。イエズス会伝道施設でもあった。しかし、今は建物だけが残っているのみだ。当時イエズス会はスペイン国王の信頼と支援のもとに強大な力を持ち、多くの宣教師が世界各国に派遣されて行った。スペインの侵攻とともにアルゼンチンに入った宣教師は、多くの富を得ると同時に、インディオや原住民にも布教、教育を行った。しかしこの活動が国王の逆鱗に触れ、1700年代を境に、その勢力は急速に衰えていった。今やアルゼンチンにはイエズス会は存在しない。

 またもや4時起き、ビジャマリアのバスターミナルに5時集合、5時半出発となっている。5時半になってもバスは来ない。旅行者らしい人もあまり見かけない。このツアーが中止になったのではと不安になる。545分、漸くバスが来る。太っちょガイド嬢が降りてくる。乗るのは私と中年婦人2人だけだ。しかしバスは満席。聞くと、このツアーを企画したのはビジャマリアからバスで1時間のところにあるヴェル・ビジェのバス会社であった。ヴェル・ビジェ周辺の人達が殆どである。2時間、コルドバまで眠ることにした。何時もの通り道だ。

   

   コルドバ大学構内            カーサ・デ・・カロヤ 

 コルドバ大学構内でトイレ。この一角もかつてはイエズス会のエスタンシアであった。コルドバ大学歴史博物館は当時のものをそのまま残している。1607年に造られたものである。大学を含め世界遺産だ。コルドバはまさにイエズス会が造った古都である。日本で言えば京都といった感じだろう。コルドバ大学は1611年に創立された南米最古の大学だ。アルゼンチンにはノーベル賞受賞者が5人いる。2人は医学賞、2人は平和賞、1人は化学賞だ。全てアルゼンチンが豊かな時代の話である。アルゼンチンは医学が進んでいると言われているが、この受賞をみればうなずける。

 私のところに日本語を習いに来ている学生がいる。コルドバ大学で演劇を学んでいる。歌舞伎に関心があるようだ。京都大学との交換留学生として、日本に行くことを希望している。週1回の授業ではあるが、なかなか覚えが早い。私のスペイン語より早そうだ。弟はスペインでギタリストとのこと。典型的なアルゼンチン人で、とても愉快な学生だ。年齢は最早28歳、辰年である。私の娘と同じ年で、メール交換をしているようだ。何時も龍の指輪をしている。ドラゴンが気に入っているとのことである。是非、交換留学生として日本に来て欲しいものだ。

 ツアー仲間は年配者が多い。移動に時間がかかる。太っちょガイド「ラピド、ラピド(急いで、急いで)」と汗を拭き拭き走り回っている。しかし慌てるものは誰もいない。見学場所毎に金を集めて回る。巨大なお尻がバスの中を行ったり来たり、椅子をこすりながら歩いている。通路を広げるか、ダイエットするか、いずれかが必要であろう。

 2番目のエスタンシアはカーサ・デ・カロヤである。1616年に造られたものだ。エントレ・リオ州にあるサン・ホセ宮殿とほぼ同じような造りである。博物館として、当時の家具等が展示されており、当時の生活様式を知ることが出来る。伝道施設でもあったことから立派なイエズス会教会が併設されている。

 途中で昼食を取る。アサードだ。中年夫婦と席を共にさせてもらう。やはりヴェル・ビジェから来たという。牧場を経営しているとのことであった。太っちょガイド、アイスクリームをほお張りながらバスに乗ってくる。太るはずだ。

  

 ヘスス・マリア             サンタ・カタリーナ:ツアー仲間と

 3番目のエスタンシアはヘスス・マリアである。1618年に造られたもので、ここも同じ様な造りだ。家族連れ8人が参加している。何とも賑やかな家族だ。お爺ちゃん、お婆ちゃんそれに子供4人連れの夫婦である。金魚みたいな4歳ほどの女の子、なかなか動ける子だ。何時もお父さんとお母さんが追いかけ回っている。この子、私の前の席で、何時も私を覗いている。その都度合図を送るので、すっかり懐いてしまった。集合写真の時は、思わず抱きしめてしまった。とても可愛い。そろそろ孫が欲しい年齢に差し掛かったのかもしれないな。

4番目はサンタ・カタリーナ、1622年の建造物である。それにしても、当時のイエズス会の力は相当なものであったのだろう。スペインの侵略・征服・植民地化とイエズス会は一体であったような気がする。侵略の陰に宗教ありである。

 泊まりはカルロス・パスだ。コルドバ丘陵の山懐にある静かな湖の町である。何度もゴルフに来た馴染みの町だ。ホテルは2つ星、決して上等とはいえない。3食付100ペソ、団体旅行としては止むを得ない。夕食時、また牧場経営の夫婦と同席。さらに結婚4ヶ月の新婚さんが加わる。このような時は何時も日本が話題になる。彼らにとって日本は「お伽の国」のように見えるのだろう。私の名前を聞くが、なかなか覚えられないようだ。名前は「カカオ」、苗字は「フーゴ(ジュースの意味)」。「カカオ・フーゴ」になってします。チョコレートでもあるまいに、カカオとは。しかし、それで我慢することにした。

意気投合して、夜の街に繰り出すことになった。この二組の夫婦は互いに手を繋ぎあって歩くが、一人ものの私は仕方なく、ポケットに手を突っ込んで後から付いていった。どうも踊りたいようだ。何処も満席だ。目星を付けて入る。老いも若きも何だか解らないが、踊りまくっている。いい年をして、何故こんなにも乗れるのか不思議になる。仲間の新婚さんと中年夫婦もノリノリで踊りに加わっていった。またもや一人ものの私は、踊り狂っている仲間を横目で見ながら、ちびりちびりとビールを飲んだ。最早2時だ。何となく侘しい思いで、ホテルに戻った。

 翌朝、予約もしてないのにモーニングコール。次は「朝食です」と電話。太っちょガイドが気が利いているのか、ホテルが気が利いているのか解らないが、なかなか行き届いている。朝食後、湖畔を散策。そして買い物。小さな時計台で写真を撮っている。よく見ると針が動いていない。時々手で動かしている。何とも早、アルゼンチンである。時間を持て余す。早い時間の昼食とする。またも同じ二組夫婦と同席。新婚さんが昨夜飲み残したワインを飲む。さらにビールを追加。後でこの新婚さんの亭主、「ワイン代を半分払え」と言う。なかなかしっかりしている。

 アルゼンチンでは大体、男が財布を握っている。必要な金をその都度、奥さんに渡すのが常だ。こちらの女性の言い分として、財布は男が握り、共働きで、炊事洗濯もする。とっても割が合わないとのことだ。日本の女性は財布を握り、亭主を働かせ、程ほどの炊事洗濯で、カルチャーセンター。さてどちらが好いか。男にとってはアルゼンチン、女にとっては日本が良さそうだ。

 この新婚の奥さん、透き通るような青い目をしているが、目に障害があるようだ。後で私にこっそり囁いた。「もう別れるの」。なんと危険な発言。しかし、この亭主、ブラジルの1レアル紙幣に「アリエルとダニエラから愛を込めて」と書いて私に渡してくれた。何とも理解に苦しむ新婚さんだ。

 昼食後、アルタ・グラシアへ。以前、高校教師から招待を受けた、チェ・ゲバラが幼少時代を過ごした町だ。2回目の訪問である。ここもエスタンシアの町だ。1643年に造られたもので、その後、町の発展とともに建造物や生活用品等が大事に保存されており、当時を偲ぶには十分な状態であった。隣り合わせのように、「アルタ・グラシアの聖母」の像が岩屋の中に安置されていた。水で手を清め、十字を切り、キリストに手を振れ祈っている。私は仏教徒、マリアの前で手を合わせ、頭を垂れた。4ヶ月の新婚さん、二人で祈り、記念撮影まで。なんだかんだ言いながらも愛し合っているのだろう。しかし、バスに乗り込むと、何処で持ってきたのか消防署の宣伝パンフレットを11人に配っている。何のために配っているのか理解できない。何とも不可解な新婚さんだ。

 居眠りをしているうちにビジャマリアに。午後7時到着。これほど早い到着は初めてだ。友達になった夫婦とツアー仲間に別れを告げ、太っちょガイド嬢にキッスでお礼をして、帰宅の途に就いた。



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