ビジャマリア情報33
2005.9.20
Villa Maria, Cordoba, Argentina
須郷 隆雄
ブエノス・アイレスのレティロ駅からベルグラーノ線に乗って、知人を訪ねてカラパチャイに向かった。カラパチャイはブエノスの郊外にあり、列車で30分ほどのところだ。列車に乗るなり、バリトン歌手のような渋みのある声で菓子売りがやってくる。座席に1個ずつ置いていく。買おうが買うまいがお構いなしだ。買わなければそれをまた引き上げていく。一時すると、今度は雑誌売りがやってくる。同様に1冊ずつ置いていく。次は良くは分からないカード売りがやってくる。乗客は慣れっこになっているようで、一向に反応を示さない。ギターの弾き語りがやってくる。フォルクローレだ。なかなか上手い。歌いながら通り過ぎて行く。只で聞けたと喜んでいると、帽子を持ってチップを集めにやって来た。やはり只では聞かせない。子供がカードを置いていく。読んでみると、「私を見捨てないで下さい。1回の食事とパンと牛乳を私たち兄弟に与えて下さい」と書いてある。やむを得ず小銭をやる。また子供がカードを置いていく。今度は「私たち子供に愛を下さい」と書いてある。また小銭をやる。きりがない。列車代よりはるかに高くつく。アルゼンチンの列車代は驚くほど安い。タラパチャイまで30分乗って、25円ほどだ。
それにしても色々なことがある。街中を歩いているのと一緒だ。 日本の中古電車 物売りの子
アルゼンチンの鉄道は英国資本によって、4万2000キロに及ぶ鉄道網が敷設された。当時は、世界有数の鉄道国であった。広大な国土を移動するには、最も有効な手段であったのだろう。しかし、効率性の悪さとモータリ―ゼーションにより、多額の赤字を重ね、今や長距離列車は殆ど運行されていない。細々と貨物輸送が残っている程度だ。一方、ブエノスとその近郊を結ぶベルグラーノ線、ミトレ線、サンマルティン線、サルミエント線、ウルキーサ線の5路線のみが運行されている。いずれも民営である。
地下鉄はブエノスのみで、しかも70年ほどの歴史がある。市中心部から放射状に伸びるA,B,D,E線とこれを横に繋ぐC線の5路線のみだ。何処まで乗っても0.7ペソ。採算が合わないはずだ。時々、日本の営団や私鉄のお古が走っている。マークもそのままだ。とにかくアルゼンチンは無駄が多い。将来展望が不足しているようにも思える。その時々の政権によって、政策が大きく変わる。継続性がない。タクシーは大幅に値上がりしているにもかかわらず、鉄道、地下鉄、バスは現状のままだ。価格の統一性がない。これもアルゼンチンの大らかさゆえであろう。
ラ・マンチャの男 売春婦アルドンサ
「ラ・マンチャの男」、聴きなれた音楽だ。序曲から気分が高ぶる。作家としても詩人としても、また税収吏としても失敗した失意のセルバンテスが教会を襲撃した罪でセビリアの牢獄にぶち込まれる。拍手が巻き起こる。セルバンテスと彼の忠実な召使マンセルバントはドン・キホーテとサンチョ・パンサに早変わり。いよいよ物語の始まりである。スペインの田舎を「ラ・マンチャの男」を歌いながら行く、奇妙な主従がいた。甲冑に身を固めた老人ドン・キホーテと人のいいデブのサンチョ・パンサだ。騎士道精神を復活させ、悪しきをくじき弱きを助ける武者修行の旅に出たのだ。やがて二人は宿屋に着く。ドン・キホーテはこれを城だと思い込み、宿屋の女中で売春婦のアルドンサを理想の女性ドルシネア姫とあがめたてまつる。「ドルシネア姫」が歌われる。観客はどんどんと舞台にひき付けられていく。拍手が起こる。売春婦アルドンサはドン・キホーテの理想主義にかぶれ、辛い現実から逃避し、夢を見るようになる。一方、故郷の神父たちは気のふれたドン・キホーテを正気に戻そうと、異様な装束の鏡の騎士に扮してドン・キホーテに決闘を挑む。ドン・キホーテは鏡に映った自分の姿を見て、愚かな気違いの己に気づく。ドン・キホーテは死の床に就く。「ラ・マンチャの男」を歌いながらドン・キホーテは息絶える。しかし売春婦アルドンサの胸の中にはドン・キホーテは生き続け、彼の愛と信念が彼女を変えてしまったのだ。ドン・キホーテの「見果てぬ夢」がホール一杯に流れる中、幕が下りる。
観客は立ち上がり、盛大な拍手を送る。私は立ち上がるのを抑え、その分激しく拍手を送った。序曲からフィナーレまで30曲にも及ぶ歌が歌われた。感動的であった。
失意のセルバンテス、騎士道と正義を夢見て旅立ったドン・キホーテ、理想の女性ドルシネア姫への恋、そして見果てぬ夢・・・。何故か自分自身を投影しているような感動を覚えた。