ビジャマリア情報34

2005.10.30

Villa Maria, Cordoba, Argentina

須郷 隆雄

 

 帰国を2週間後に控え、最後の任務としてラ・パンパ州に向かった。

 いつもは夜の12時頃長距離バスに乗り、朝の7時ごろ着くという強行スケジュールであったが、今回は午後2時に出発。しかも同僚教師の車を使うことになった。しかし、あれやこれや準備で意外と手間取る。いざ出発。南へ600キロ、変わらぬ風景、一面の牧草地、ところどころにゴマを撒いたように草を食む牛。地平線まで伸びた道をひたすら南へ南へと走る。大きな夕日がゆらゆらと沈んでゆく。象やキリンがいたらアフリカと勘違いするであろう。州都サンタ・ローサでもう一人の技術員を拾い、マカチンという小さな町に到着する。ここが今回調査・指導を行う場所だ。

 マカチンはスペイン北部のバスコ地方の出身者が多い町である。泊まるホテルにはバスコの旗が掲げられ、バスコ地方の地図、バスコの文化・歴史を紹介する書籍なども揃えられている。パレタの道具も飾られている。パレタとは、その地方で盛んなスポーツだ。板でボールを打ち合う卓球とテニスの合いの子のような、かなり激しいスポーツである。同僚にバスコ出身の博士がいる。週1回、スポーツクラブで練習しているようだ。何度か誘われたが、実際にやったことはない。バスコ出身者の苗字が記載されている。その博士はエチェベリアという。確かに載っている。間違いなくバスコ人だ。バスコはスペインでも気風も言葉も少し異なるようだ。何度も独立を企てたという話を聞く。かなり戦闘的で、誇り高い民族なのかもしれない。

 このホテルでアサードを注文する。フラメンコダンサー風のかなり肉感的な、しかもかなりセクシーな女性が料理を運んできた。思わず胸の谷間に目が行ってしまった。そのためか、やけに肉もワインもうまかった。この地方の肉はうまいことで評判だ。

  


   講習会風景              家族経営主とともに

 この2年間、50ほどの乳業工場を視察し、調査もした。セミナーや講習会も何度となく行った。着任早々、「地域乳業開発プロジェクト」がスタートした。スタッフは8人である。任務の全てがこのプロジェクトに費やされたといっても過言ではない。

 このプロジェクトは、地域の中小チーズ工場の品質の向上と有効な生産体制を確立することを目的とし、地域毎に生産技術講習会を実施するとともに、参加企業の全工場を訪問し、その状況調査と進捗状況を確認するものであった。この講習会は牛乳の知識、生産知識から始まり、製造工程管理、品質衛生管理、監督者責任そしてHACCP取得までを13段階に分け、地域ごとに1回3時間、26回、合計78時間実施するものであった。このプロジェクトは単に技術の向上を図るだけのものではなく、現在のアルゼンチンにおける900社に及ぶ中小乳業の問題点を確認し、経営者の時代感覚を改め、いかに生き残るかを検討するものでもあった。

  

   ドン・フェリペのチーズ           公園の看板

 翌朝8時に日量牛乳50トンほど処理する中堅チーズ工場を調査する。工場責任者はオーナーの息子で、当校の卒業生でもあり、まだ28歳とのことであった。衛生的で近代設備も整い、しっかりした経営と製品を作っていた。後継者がいて、しかも早くに経営をバトンタッチしている工場は概して経営内容がよさそうだ。

 帰りがけ、ホテル前の公園を散歩してみた。なかなかきれいに整備されている。見ると看板がかかっている。

AYER : La construyeron nuestros Abuelos昨日、公園をお爺ちゃんたちが造った)

MANANA : La disfrutaran nuestros Nietos明日、そこで孫たちが遊ぶ

HOY : !Cuidemosla! (今日、私たちでそれを手入れしよう)

すばらしい看板だと思った。「ごみは捨てないで」のように否定の言葉ばかり目立つ日本とは大違いだ。我々はもう少しユーモアが必要なのかもしれない。

 午後5時、12100名ほど集め講習会を開く。いつものように同僚が私を紹介する。「日本政府を代表して、乳業経営の指導に来られた」と。その後延々と冗談も交え紹介する。穴があったら入りたい気分だ。彼らの講義は決して一方通行ではない。「Hay una pregunta?(質問ありますか)」「Entiende(解りましたか)」を繰り返し、必ず理解を求める。聴く方も然る者、質問の雨嵐である。対話形式で講義が進んでいく。実にうまいと感心する。そして講義の合間にティータイムが15分ほどある。これがまた賑やかで、復習の場であり、コミュニケーションの場でもある。「どうだった」と聞くと、「Aburrido(退屈だ)」と率直に答えてくる。彼らには遠慮がない。

 翌朝また家族経営の小規模なチーズ工場に行く。牧場の経営者でもある。なぜか牧場に豚が数頭寝ている。時たまこういう光景を見かける。犬がいるのは珍しいことではない。犬は家族だ。このような1020トン扱う零細工場がアルゼンチンでは全体の8割方を占める。大体が設備は古く、非効率で衛生環境は良くない。いまだに薪のボイラーを使っているところもある。しかし経営者は誇り高く「50年間一度も問題を起こしたことはない」と威張っている。手作りの延長というべきか、発酵させているためか、衛生観念は薄いようだ。しかしこのままでは行き詰るであろう。世界基準に則った製品作りが必要だし、統廃合も必要だ。抱える問題は日本と同じだが、彼らにはそれを改善する金がない。しかし陽気に、明日のことは気にかけず、おおらかに生きている。

 午後5時、また昨日の続きである。今日はグループ討議。理解度アップと問題点の改善策である。必要に応じ相談に乗る。9時終了。挨拶もそこそこに600キロの道のりをひたすら北へ。光はヘッドライトのみ。暗黒の道をひた走る。もはや言葉はない。疲労は極限状態だ。帰り着いたのは、明け方の4時だ。朦朧とした頭でベッドに身を投げる。なかなか寝付けない。

 アルゼンチンの中小乳業の生き残りをかけた2年間の戦いも終わろうとしている。「成果は?」と聞かれれば、心もとない気もする。しかし、馬を水場に連れて来ることはできたと思う。後は自らその水を飲むかどうかである。アルゼンチンの酪農乳業の発展を願いつつ眠りに就いた。


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