ラス・リラス便り

第 14 号

平成17105

アルゼンチン国コルドバ州ビジャマリア市

須郷 隆雄

 

 ラス・リラス、珍しくすいている。

 14東洋系のウェイトレスが注文をとりに来る。何時ものコルタードを注文。

アルゼンチンでは、80%がイタリア、スペイン系で先住民の比率か極めて低く、5%以下といわれている。メスティーソと呼ばれる先住民とヨーロッパ系の混血が少ないのもアルゼンチンの特徴だ。ましてや東洋系との混血は殆どゼロに近い数字であろう。しかし遺伝子調査によると、60%が何らかの形で白系以外の血が混ざっているとの報告もある。ちょっと信じられない気もする。

 犬がよたよた歩き回っている。頭を撫でると足を乗せてくる。暫し、足元で寝そべっている。そしてまたよたよたと歩き出す。長閑だ。

 急に激しい雨。通りでは、人が一斉に走りだす。ヘッドライトで道路が光っている。

 南アメリカ大陸の多くを占める楔形の国アルゼンチンは、北は南緯21度、南は南緯55度、南北の長さは3,800キロと長い。よって、気候も多様だ。北は亜熱帯、東はパンパ、西はアンデス山脈、そして荒涼とした砂漠が広がるパタゴニア。その気候は亜熱帯、温帯、乾燥、寒冷気候の4つに大別される。更に16の気候区に細分化されているという。北風が吹くと急に暑くなり、南風が吹くと寒くなる。天気は変わりやすく、季節の変化は極めて緩慢だ。昨日は冬、今日は夏という天気も珍しくなく、温度に合わせ良く着替えをしている。季節変化の明確な日本と違い、人間だけでなく植物もその対応は楽ではなさそうだ。

      

ハル                ナツ

 「ハルとナツ」。NHKが放送80周年記念番組として放映された。アルゼンチンでこれを見た。橋田壽賀子の作品だ。彼女は当年とって80歳とのこと。放送の歴史と一緒だ。驚きである。

昭和9年、北海道からブラジル・サンパウロへの移民となった姉ハル(9歳)とその家族。そして出発の地、神戸で眼病のため一人日本に残された妹ナツ(7歳)。激動の時代を困苦のブラジル移民として耐え抜いた姉。日本で戦争と復興を経て、経済成長の中を一人で生きた妹。70年間引き裂かれた姉妹。その人生の歳月をスケール豊かに浮き彫りにした壮大なロマンである。

作者は、「戦争の悲劇」と「家族の絆」をブラジルに行った姉と日本に残った妹を対比しながら、しかもその上に今の日本の暮らしがあるということを描きたかったと言っている。

ブラジルの姉ハルは、大家族で思うような生活が出来ず、日本が戦争に負け更に窮地に追い込まれていく。日本に一人残された妹ナツは,闇市から事業を起し高度成長の波に乗り豊かになるが、やがて大きく傾いていく。そんな「大家族の中の女」と「孤独な女」を対比し、ブラジルという遠い国を描くことにより、逆に日本が見えてくる。貧しくても土にしがみついて生きていく家族の姿は、人間の生きる原型であり、身の丈にあった暮らしの中で、家族とともに生きていくことの大切さを教えてくれる。日本とブラジル、離れ離れになった姉妹、どちらの生き方が幸福であっただろうか。世界62カ国で放送されたという「おしん」を思い起こさせる橋田文学に、またもや涙、涙であった。

あの戦争は日本が本当に負けたのであろうか。時々、日本が勝ったのではないかと思うことがある。現在の繁栄を見るにつけ、「負けるが勝ち」という言葉の本当の意味が分かったような気がする。

「国家は全権大使を送って一国を代表せしめるのであるが、皆様の一人一人がおのおのその背後に、日本を代表している全権大使だという心得で、日本の名誉を揚げ、日本人の信用を高め、それによって行き詰った日本で苦しんでいる人々が、後から行くことの出来る機会を得られるように、国家に対する責任を自覚しつつ、ご奮闘あらんことを希望するものであります」という当時の拓務大臣の言葉に送られ、日本のブラジル移民は始まった。明治41年の「笠戸丸」以来、ブラジルの日系人は140万人にものぼる。当初、その9割がコーヒー農園の契約労働者で、しかも低賃金であった。殆どは、金をため故郷に錦を飾りたいという出稼ぎ移民であり、それが叶わず永住が定着するのは戦後だったということだ。西日本出身者が多く、12歳以上を最低3人含む家族移民が基本だったので女性も多かった。しかし今は、8割以上が都市に住み、殆どが中産階級になっているとのことである。

店の中、最初すいていたせいか、極めて非効率な座り方である。立って待っている客が多くなってきた。2ペソ出すと2.25ペソだという。値上がりしている。90円になった勘定だ。しかし、日本のドトールよりも安い。コーヒーを見る限り、住みやすい国だ。満足して店を出る。

             


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