ラス・リラス便り

第 8 号

平成17525

アルゼンチン国コルドバ州ビジャマリア市

須郷 隆雄

 

 525日はアルゼンチンの革命記念日。祝日だ。1810年のこの日、スペインの副王を退位させ、主権を勝ち取った。いわゆる「5月革命」である。その後、各地で叛旗を翻す旧勢力との開放戦が続けられたが、建国の父サン・マルティン将軍により逐次平定され、6年の歳月を経て181679日ツクマン市で独立が宣言された。

 午後、市内を流れるクタラモチタ川の川原に自転車で行く。何やら川向こうで太鼓やら演奏やら賑やかにやっている。隣町のビジャ・ヌエバだ。革命記念日のパレードかと思いきや、ビジャ・ヌエバの創立記念日、いわゆる誕生日のパレードだった。幼稚園児から高校生まで、それぞれにただ行進するのみだ。音楽隊とアナウンスがやけにうるさい。川を越えただけで町の雰囲気が大分変わる。顔つきが違うし、やや浅黒い。ボリビアーノが多いと聞くが、インディオ系の顔が多いようにも思う。富める地域と貧しい地域が明確に区別されている。決して同化しない。自由と博愛というが、彼らにとっては同一民族内での自由と博愛であって、他民族には適応しないようだ。厳しい社会だ。

 何時もの運動場で久しぶりにウォーキングをする。5周2キロだ。ちょっと汗ばむ。帰りにまたラス・リラスによる。

 入り口に犬が丸くなっている。何時もはグデーっと伸びているのに、今日は犬も寒いようだ。何時もよりすいている。空席が目立つ。ウェイトレスの制服が赤のブラウスから黒に変わっていた。しかも首にはスカーフも巻いている。冬に向けての衣替えか。なかなか格好いい。

 ラ・ボス新聞に、コルドバにおける五月革命という記事が載っていた。サン・マルティン将軍はブエノス・アイレスからコルドバを通ってツクマンへと進軍したようだ。長時間の自転車とウォーキング、それに寒さで便意をもよおす。初めてこの喫茶店のトイレに入る。なかなか綺麗だ。アルゼンチンは概してトイレは綺麗だ。アルゼンチンでは必ずといっていいほど便器とお尻を洗う便座がある。このお尻を洗う便座がとても気持ちが好い。下からのシャワーに肛門を当てていると、何ともいえぬ恍惚感を味わえる。日本のシャワレットとかいうのと違い、水の当たりが柔らかなのだ。シャワレットは日本の考案だそうだ。日本人の改良技術には感心する。

 今でこそ洋式トイレは一般的であるが、私の実家は未だに和式便所だ。これが大変だ。便器の上にしゃがみ込み、かかとを浮かせ、足首を支点にして全体重を支える。とても辛い姿勢だ。何故洋式トイレのようなものが考えられなかったのか。畳生活の延長で、椅子という概念は浮かばなかったのであろう。和式便所は暗い、汚いというイメージだ。大体暗くて、お化けが出そうなところにある。しかも股を開いて頑張るため痔になりやすいという欠点もある。かくして私も、すっかり洋式トイレに慣れてしまった。人間、一度楽な思いをすると元に戻れない。堕落だと反省している。

 モンゴルには、土の壁の間に一本の棒を渡し、両手を壁に突っ張って棒の上で用を足すトイレがあるという。ちょっとでもバランスを失えば、真下の肥溜めに転落だ。足腰に加え、平衡感覚まで鍛えられる。朝青龍のような強い力士が次々と生まれてくるのも無理は無い。相撲協会はもっと和式便所を普及すべ

きだ。

        

      パレードの園児          アルゼンチンのバーニョ(トイレ)

 和風便所は不思議と、縁側の奥にあることが多い。縁側も今や存在感を失っている。私の実家には和風便所と同様、未だに縁側がある。しかし、布団干しか猫の昼寝ぐらいしか使い道が無い。かつて、縁側は社交場であったような気がする。親爺は何時もNHKの「昼の憩い」を聞きながら新聞を読んでいたし、婆さんとお袋はそこでお茶飲みをしていた。すると隣のおばさんが回覧板を持ってきて、これまた1時間ぐらいお喋りをしていく。猫は端のほうで丸くなり、犬はお茶請け欲しさに傍で尻尾を振っている。まるで「とんとんとんからりと隣組」の世界である。懐かしき良き時代であった。

 当時、忘れられないのが紙芝居である。何故か紙芝居というと、西日が差す夕方の光景を思い出す。拍子木がなると駄菓子屋に集まっていた子供たちが、一斉に紙芝居目掛けて駆け出す。売るのは大体、水あめと酢昆布かスルメであった。代表的なのはやはり水あめ、割り箸でくるくる巻きつけるやつだ。出し物は黄金色のドクロに赤マントの「黄金バット」と全身黒ずくめの謎の「怪人ナゾー」だ。「猫娘」、「トカゲ娘」、「蛇娘」など妙なのもやっていた。紙芝居は自転車の上が舞台で、水あめを買えない子は後ろの方でこっそり見ていた。テレビの普及とともに、紙芝居は無くなってしまった。             

 紙芝居が商売敵の駄菓子屋は、大体、婆ちゃんが店番をしていた。ところてんの美味しい店だった。樋みたいなものから押し出されてくるあの感触が忘れられない。あれ以上のところてんを食べたことが無い。それとくじだ。当たるとみじんこで出来た鯛がもらえる。そこの婆さんは、「隆ちゃんはくじ運が好いからね。」と。確かに良く当たった。その時にくじ運を使い果たしてしまったのか、今や宝くじは当たっても精々3千円だ。最近は女房が、「お父さんはくじ運が無いものね。」と言っている。駄菓子屋もコンビニの普及とともに無くなってしまった。

 鼻を垂らし、継ぎ接ぎだらけのズボンをはいて、皆が貧しかったからあまり貧しいとは感じなかった。貧しくも良き時代であった。

 戦後、私が生まれた年に、アルゼンチンではペロン政権が成立した。世界が極貧の中にあるとき、アルゼンチンは食糧供給基地として、また天然資源を世界に供給し、巨万の富を得た。社会資本は充実し、南米のパリと言われるまでになった。しかし、立派な箱物は残ったが、公共投資とばら撒き行政で人々は働くことを忘れ、舞踏に興じ、必要なものは海外から買い、売ることも外国資本に委ねた。国内産業を育成することも無く、国内の基幹産業は殆どが外国資本に牛耳られた。その付けが今に及んでいる。「奢れる者久しからずや」、「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」という無常観を理解していたら、こんな事には成らなかったであろう。残念でならない。逆に日本は極貧の中から立ち上がり、世界で最も豊かな国の一つになった。しかし、失ったものも多々あるような気もする。今後は、物と心の調和が取れた発展が望まれる。

 ピンクの大きなイアリングをした金髪のウェイトレス、なかなか美人だ。隣の客と会話を楽しみながら注文をとっている。コミュニケーションをとるのが上手だ。日本のような儀礼的注文取りとは少し違うようだ。

 外は大分黄昏して来た。入り口にまだ犬が丸まっている。頭をポンと突付き別れの挨拶。犬はびっくりして立ち上がり、大きく伸びをして、23歩よたよたと歩き、また丸くなった。犬もお疲れのようだ。

 「とんとんとんからりと隣組、格子を開ければ顔なじみ、回して頂戴回覧板、知らせられたり知らせたり」心が弾む幸福な歌だ。「とんとんとんからりと隣組、あれこれ面倒味噌醤油、ご飯の炊き方垣根越し、教えられたり教えたり」まさにご近所ソングだ。鼻歌混じりで帰宅する。
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